KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 | 日記 | 父性愛とは? 憎まれようが嫌われようが筋を通す強さと厳しさこそ本物の優しさ

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

父性愛とは? 憎まれようが嫌われようが筋を通す強さと厳しさこそ本物の優しさ

2012.12.17

大善は非情に似て、小善は悪に通ず

1 小善による野鳥の絶滅
動物が生息できる自然環境が急速に失われているのか、次のような話があります。
絶滅の危機に瀕している野鳥を救うため、安西(仮名)さんという愛鳥家が一人で餌付けを始めました。餌付けの効果があり、その野鳥の数はだんだん増えていきました。
ところが安西さんが亡くなられた後、餌付けをする人がいなくなり、その野鳥は、急速に数を減らし、やがて絶滅してしまったそうです。 
安西さんは、餌が少なく野鳥が可愛そうだという善意の気持ちから始めた餌付けだったのですが、その野鳥は、次第に生活の糧、繁殖の糧を、安西さんが与える餌に頼るようになってしまったのです。善意で始めた行為が、結果的には野鳥を飼い馴らすことで野性味を奪い、安西さん亡き後、過酷な自然環境の中で自活して生存する力(=生きる力)を奪いとり、種が絶えるという最悪の事態を招いてしまったのです。 
安西さんが、もし自然の摂理を十分に承知しておられたら、餌付けという行為(小善)が招く結末の重大さを推測できたに相違ありません。 
では、どうすれば、安西さんは大善の行為を行うことが出来たのでしょうか?それは、餌が少ないから餌を与えるといった短絡的な対処療法ではなく、野鳥が安心して生息できる自然環境そのものを保全するという大局的かつ長期的視点に立った組織的な環境保全活動を推し進める方が大善だったのです。

2 小善の躾がもたらすもの

この逸話は、子育てにも当てはまります。
デパートのオモチャ売り場で、子供があるオモチャを欲しがり、泣いて駄々をこねたため、親は、可愛そうだと思い、そのオモチャを買い与えます。そうすると、子供は、泣くことにより自分の要求が通ったと思います。泣けばいいんだ...と親を甘く見るのです。
そして、小学生になったら、友達が自転車を持っています。そこで自転車を買ってくれとせがむことになります。親は、親戚のお兄ちゃんから戴いた自転車があるから我慢しなさいと説得しますが、子供は最新のマウンテンバイクでないとダメと一歩も譲らず、終いには泣き落とし作戦に出てきます。そして、見事成功するのです。
さて、その子が、中学生になりますと最新のゲーム機とソフトを次々に欲しがり執拗に要求してきます。この頃になると、泣きはしませんが、悪る知恵が働き、口を利かなかったり、悪びれたり、何かお手伝いする替わりに、その対価として要求したりします。いずれにせよ、「親は子に甘い」ということを見透かしたように、いつか親が折れると知っているから決して諦めません。
高校生になれば、専用個室、専用テレビ、パソコンやスマートフォンを要求し、大学生になれば、車やマンションといった高額の要求になって現れてきて、しかもその要求は、どんどんエスカレートしてゆきます。
今まで子供の言いなりになってきた親が、ある日突然、経費的に無理と判断して「○○ちゃん、買えないから諦めてちょうだいね。」と言っても、唯物的思考に囚われている子供は、「グレてやる。」とか「私のことが嫌いなんだ。」と考え、利己的で、憎悪に満ちた非常識な反抗的態度を取るようになります。
小さい頃から泣けば親が折れると信じ込んできた子どもは今度に限って親が承知しないのは、自分に対する愛情が足りなくなったのだと本気になって思い込みます。そこから逆恨みが発生したり、すねて暴れたりすることもあります。
それもこれも、幼い頃の、デパートの一件が出発点でした。
こういう問題を、場当たり的、その場しのぎの対処法で処理するのは危険です。
母親の陥りやすい考え方に、オモチャ程度のものなら、私が家計を切り詰めればなんとかなるから買ってもいい、という判断があります。車やマンションなら、家計を切り詰めても買えません。
「買えるから買う。買えないから買わない。」ではなく、深い思慮も判断もなく子供にねだられる度に買う行為そのものが、子供の将来にとってよくないことと心得るべきなのです。
上記のようなお母さんは、「どういう子に育って欲しいのか、そのためには、親としてどう行動すべきか」という子育ての“軸”となるべきものを持っていません。
ゲームがもたらす将来の付けがどういったものであるかを真剣に考えようとしませんし、他人のアドバイスにも耳を貸そうとしませんし、そうした社会的現実から目を背けようとしがちです。
ゲーム脳がもたらす恐怖(人や動物を虐殺したい性向・精神疾患)、ゲーム依存症が金銭目当ての違法行為やギャンブルに発展し、学習忌避及び仕事忌避に繋がりかねないといった結末を深刻に受け止めようとしません。
だから、いつもその場しのぎで対処していきます。そうしていくうちに、ますます、手のかかる子どもになっていき、非行に走ったり、家庭内暴力や登校拒否、引きこもり、自殺という最悪の事態を招き、親である自分自身はその心痛で悩み、苦しみ、悲しむという不安な日々を送ることになります。
実は、これらは本来家庭内の問題なのですが、現在はそうした事例が非常に多く、もはや家庭では処し切れない社会問題としてクローズアップされ、国が関与せざるをえなところまで来ています。

子供の好奇心は、諸刃の剣です。一つ誤れば貪欲な物欲の亡者となりかねません。
特に、幼い頃よりゲーム漬けになった子供が大人になると現実社会の厳しさから逃避し仮想空間に居場所を求める傾向が強まります。学校や仕事を辞めて家に閉じ籠るようになるケースが非常に多いのです。
「○○ちゃん、泣き叫べばゲームを買って貰えるというのは、まちがいなのよ。あなたの夢は○○なのでしょう?だったら、今、あなたがするべきことはなんだっけ?ママも応援するから夢に向かって頑張って努力しようね!!」と教えるのが親の務めなのです。世の中、目に見える物よりも、目に見えないものの方が遙かに大切なものが多いということを教える絶好のチャンスなのです。
子供に夢を抱かせ、それを追い求めて努力することが生き甲斐を生み、充実した幸せな人生を生きることに繋がると教えて頂きたいのです。

3 小善の学習指導がもたらすもの
ところで、学校や公文の宿題に関して、似たようなことはないでしょうか。子供がスランプ状態で、或いは疲れていてプリントをしたくない日があります。そんな日は、ぐずってみたりして、必死に〝明日へ先送りしよう〟と画策します。戻ながらに演じる子だって出てきます。そして、きまって子どもは「明日、絶対するから」と嘆願します。お母さんもその約束を取ったことで、安心し、「ほんとよ。明日よ。」と確認だけして、その日を許してしまうのです。
ところが、翌日になると同じ出来事が展開されるのです。
子供は、「ぐずれば宿題をしなくても済んだ!」という実績を持ったことで、前日よりも手強くなっています。そして、今日が教室日という日に、子供は観念して宿題のプリントを解くわけですが、溜まっているのでしんどい。おまけに宿題をした直後に、フラフラになって教室にくるので能率が上がらない。こうして、たまに公文をしたら超大変だったという気持ちを引きずった子は、「めんどくさいな」と、翌日すべき宿題をまた、先送りする...まさに悪循環です。
お母さんにも「今日一日ぐらいなら」という気持ちがあります。 お母さんが働いて遅く帰ってくる場合には、子供に対しても負い目も有ります。ちょっとぐらい優しくしてあげても...こんな気持ちが根底にあるんだと思います。しかし、結果的に、我が子を、しなくてはいけない物事から逃げようとする性格にしてしまうことに貢献しているのです。
そして「負け癖」がつくのです。
むろん他人と比較しての勝ち負けだけではなく、「怠けろよ。楽しくやろうぜ。頑張って何になるんだ!要領よくやんなきゃ損だぞ。真面目な奴ほど馬鹿を見るんだから。」という自分自身の悪魔の誘惑に“負ける癖”が定着しチャレンジ精神が消滅してしまうのです。
そして、そんな子が大人になると、壁にぶつかると逃げることしか考えませんから、「どうせ、俺には、できっこない。絶対無理に決まっている。」が口癖になり、須く、他人や親に頼る生き方か、反社会的な生き方しかできなくなるのです。

このように、その一つ一つの問題をお座成りにして、対処療法で当座を何とか凌いでも、実際は解決したのではなく、単に問題を先送りにし、もっと複雑にしているだけなのです。そして、その問題が末期ガンのように大きくなり、もはや対処療法ではどうすることも出来なくなった時に、親は、否が応でも当該問題の本質に目を向けざるを得なくなるのです。
しかしながら、その時点では既に手遅れになっていることが多いのです。

4 大善の躾と学習指導が大成をもたらす
(1) 子育ての軸を樹立する

実は、対処療法は、長期的ビジョンが必要なく、悩まないで済み、また、手を掛けないで済む分、非常に楽で、誰にでも出来る簡単なやり方ですが、逆に非常に軽率で危険な手法です。
お子様の将来の大成を願い、悩みながらも真剣に子育てに向き合う親であれば、どんなに面倒でも、どんなに大変でも、その時点、その時点で問題を先送りすることなく、夫婦で相談しながら一生懸命考え、「子育ての軸」に照らして最適の方法を案出し実行します。それは、往々にして容易い方法でない場合が多いのです。
個人主義的風潮が強い欧米では、子供と親は相互に独立した関係(友達のような関係)を希望し、相互に干渉しないといった考え方が支配的で、自己責任の名のもとに、放任する親が多いようですが、結果的に、親子の絆が弱まり、非行に走りやすく、家庭崩壊に拍車をかけ、結婚して家庭を持つことすら忌避する流れが加速しています。

公文学習を通してどんな子に育って欲しいのか、という「軸」がしっかりしているお母さんなら、こういう場面に遭遇しても決して妥協しません。
熱があったり、よほどの事情がない限り、子供が何と言おうと、プリントを出来るようにもっていきます。賢いお母さんは、「いい加減に、公文をしなさい!」と絶叫することもしません。知恵を絞り、何とか子供の自発的なやる気を引出そうと努力致します。「眠いなあ。お母さんもそういう時あるから、あなたの気持ちわかるよ。」と素直に子どもの主張を受けいれた上で、「さあ、一緒にやろ!」と背中をさすってあげたりしながら、見守ってあげます。
そして、子どもがやり抜いた後、思いっきり抱きしめてあげるのです。「眠いのに最後までやり抜くなんて、ほんとにあなたは自慢の子よ。」と。
このくり返しで、やがて子どもは怠けたいという弱い心に自らの意志で勝ち、明日に先送りせず、どんなときでも努力を忘れない、たくましい子に育っていきます。その努力する習慣は、その後、子どもが夢に向かって突き進もうとする時の原動力になるのです。

(2) 親父の出番
しかし、大善の子育ては、母親だけが孤軍奮闘するようではなかなか上手くいかないものです。
強力なサポーターが必要です。
母親は、家慈(かじ)ともいいますが、生来、慈悲深く、争いを避け、譲って調和することを希求する資質を持っています。
一方、父親は、家厳(かげん)とも言い、生来、おごそかで、がっちりして、いかつくて、きびしく、大切なものを守るためには命を張って闘争するという資質を持っています。
 しかし、こうした父性の厳しさに宿る優しさと母性的な優しさの両面をお持ちのお母様は、そんなに多くはいらっしゃらないのではないでしょうか。一般的に「武士道的な胎をくくる覚悟や厳しさや強さ」といったものは父親が持つ特性といえます。
 従いまして、家庭内では、親父たる者、「動かざること山の如し 静かなること林の如く」で、妻を陰で支え、裏からしつかりと睨みを利かしていなければなりません。
しかし、いざとなれば「動くこと雷霆(らいてい)の如し」で、重大なる局面で矢面に立ち、子育ての全責任を負い、進んで憎まれ役を買って出なければなりません。
それが、「地震、雷、火事、親父」といわれる所以であり、日本の伝統的な親父像なのです。
親父とは、家長であり、家庭の総指揮官です。
家庭で生起する問題は、どのような問題であれ、家長の責任なのであって、例え、子育てが上手くいかないからといって他者への責任転嫁は許されないはずです。
そうした覚悟と不動の信念があった上で、言行一致する親父こそ、妻は夫を立て、子供から尊敬を受けることができます。
そうした親父は、自ずと、子供達から恐れられるぐらいの威厳を放つことができます。

子供が脱線しかかった時(徳育上の危機)、子供を厳しく叱責する場合もあるでしょうし、思わず手が出る場合もあるでしょう。父親の場合、子供の将来を真剣に思い悩んだとき爆発的に殴ることもあるかもしれません。

ロンドンオリンピック男子体操個人総合の金メダリスト内村航平選手が6歳のジュニア試合の録画ビデオが公開されていましたが、父親は、ふざけて演技したことに怒り、大勢の観衆が見ている前で、試合場に上がり、お尻を激しくたたいてせっかんしていました。普段は、物静かで温厚で控えめな方だそうです。通常は、明るく社交的な母周子さんが表に出ておられます。試合に負けても一生懸命やったのであれば、「よかよか。よく頑張った。次頑張ればよかたい。」という鷹揚な親父ですが、不真面目な態度は許せなかったのです。徳育上、「こいじゃ、いかん」と思った瞬間、雷鳴の如く舞台に躍り出て一喝したのです。
問題の本質は、殴った殴らなかったといった表面的な所にあるのではなく、どれほど真剣に子供に向き合うことが出来たかどうかという点にあるのだと思います。
親の愛情表現の形がどうであれ、親が真剣に向き合って育てられた子供は、親の真剣な愛情を肌で感じ、驚くほど素直になり、正しい方向にまた戻って来てくれるのです。
非行に走る時の児童心理は、「お父さん、お母さん、私の方を向いて!」と信号を発している時なのです。そして、その非行事案の80%は親の生き方及び子育てに原因があると言われております。
幼児~小学生~中学校~高校と成長する過程で幾つもの問題に親子共々直面致しますが、平素から子育てに関する正しい軸(方針、コンセプト)を樹立し、一つ一つの問題に丁寧に真正面から取組んで行きたいものです。

(3) 艱難辛苦、汝を珠にす
私やスタッフも教室ではある意味戦いなのです。
公文指導者やスタッフには、学校や幼稚園等の先生同様に母性愛だけでなく、父性愛の資質が必要不可欠なのです。母親のような優しさだけでなく、父親のような厳しい優しさが車の両輪のように求められています。これが偏っていては、集団の統率が困難なため、私語が飛び交う雑然とした喧騒な雰囲気に陥り、教室を秩序正しく運営することができません。また、お子様達に秘められた可能性を最大限に引き出すことも困難です。
*【サービスメニュー「才能拡散の法則と異年齢集団教育(環境が人を創り人が環境を創る)」をご参照ください。】

私達は、作戦会議たるスタッフミーテイングを結節時に行いますが、毎回の教室日終了時には、各公文生の学習状況に関してスタッフ間で情報交換しております。問題のあるお子様の場合は、保護者様にご報告し、スタッフとともに対応策を検討して次回の指導要領に生かしております。例えば、私が厳しく叱咤激励した場合、保護者様やスタッフが優しい声掛けをして上手くフォローしたり、逆に、保護者様に怒られた公文生をみんなで励まして元気づけるといった具合に、阿吽の呼吸での連携プレーを心掛けております。

公文の各レベルには、それぞれ大きな関所があります。
最初は緩やかな登り坂が、だんだん勾配がきつくなって参ります。
そして山の頂上の峠にある関所を通過すると新しい視界(次のレベル)が目に入ります。そしてまた、スピードが加速するのです。 
私は、指導上、一番勾配のきつい箇所を徹底して反復させております。*注釈
足し算ならば、3桁の足し算です。その時、子供達のプリントをこなす顔が苦渋に満ちています。その時、それぞれの子供さんとご両親の言動に、様々な違いが出て参ります。

①目に涙を浮かべながら、しかし、それを私達に悟られないように顔を傾けて肘で隠しながらも粘り強く取組む子がいます。
②癇癪を起こし、投出す子がいます。
③何か言訳を捜して逃げようとする子がいます。
④中途で投出さず、最後までやり遂げるよう叱咤激励する親御さんがいらっしゃいます。
⑤目前で苦しむ子供、不平を言う子供を見たくないばかりに、辞めさせる親御さんがいらっしゃいます。


「艱難辛苦(かんなんしんく)、汝(なんじ)を珠(たま)にす」との諺があります。
炭は、非常に高温高圧の熾烈な環境下で光り輝くダイヤモンドに変化します。
ぬるま湯に漬けていては、いつまでたっても炭のままで終わってしまいます。
どうかご理解頂きたいのです。
お子様が、厳しい局面に遭遇し苦労している時こそ真の実力が培われている時なのです。

その時、私は、単なる公文指導者としてだけでなく、子供達の徳育コーチとして鬼になり決して妥協しようとは思いません。
しかし、表面とは裏腹で、心中穏やかではありません。はらはらしながら「頑張れ!負けるな!」と必死にこの峠を乗り越えてくれるよう念じているのです。ですから、その時は、子供との真剣勝負であり、非常に緊張致します。ストレスで夜眠れないこともあります。例え、子供から御両親から非情と思われても、憎まれても、嫌われても、その関所を越えさせることが私の果たすべき務めであり、また、その事こそ大愛であり、大善であると私は信じて疑いません。
今、目の前で、嫌がる子供の泣き顔を見たくないばかりに、妥協する指導者は、プリントの片面しかさせなかったり、スキップさせることでしょう。
今、目の前で、嫌がる子供の泣き顔を見たくないばかりに、妥協する親御さんは、辞めさせるかもしれません。
しかしながら、そういった対応は小善であり悪に通ずるのです。
目先に捕らわれ、子供の笑顔(実は、卑屈で偽りのバツの悪そうな笑顔です。)を見たいがための小善は、結局,子供から生きる力を奪いダメ人間にしてしまいます。
教育の真価が発揮されるのは、10年後、20年後、30年後です。
従って、親は、我が子の少なくとも10年先のあるべき姿をイメージアップし、大善の軸を樹立して、我が子の教育に望みたいものです。

子供が、本当に素晴らしく美しい笑顔を見せる時を私達は知っております。
もがき苦しんでいた子が、泣いていた子が、「先生やったよ。できたよ!」と満面の笑みを浮かべ誇らしげに、私達に報告してくれる時です。
その笑顔を見た時、私達は深く感動致します。
この仕事をやっていて良かったと苦労が報われ、そして元気が湧いて参ります。
その時、私達はいつも確信致します。
私達のやってきたことは間違いなかったと。
あることをやり遂げた時の達成感、充実感、そして感動、それらが、どれ程その子の人生を豊かにしているか計り知れません。「私でも、やればできるんだ!」という大きな自信を植え付け、「勝ち癖」(負けても失敗しても必ず這い上がり目標を達成する。)をつけさせることになるのです。それが生きる力でなくて何でしょうか?!


2002年、ノーベル化学賞受賞に輝いた田中耕一さんの父親は、新潟の片田舎で、鋸の目立て職人として、その端整な仕上がりは一流と評判であったそうです。幼い頃から、父が、作業場に座り、朝から夜まで、黙々と鋸の歯に一つ一つやすりをかけている姿を目にしてきた耕一さんは、何事も一つのことを粘り強くやりぬくことの大切さを、父親から教えてもらったと述懐しておられました。
今年、ノーベル医学・生理学賞を受賞された医師の山中伸哉教授のお父様は、東大阪市の小さなミシン部品工場でいつも黙々と旋盤に向かって部品加工して特許を取得されるほどのお方でした。山中少年は、小さいころより工場で遊びながら勤勉実直な父の姿を目のあたりにしてきたのでした。
こうした世界最高峰の受賞は、誰もが不可能で夢物語とまで断言した研究を諦めずにやり遂げた成果です。ともするとマンネリ化しやすい研究を粘り強く遣り通せたのも、父親の仕事に対する直向きで一途な姿勢、家の大黒柱としての厳しさ故の優しさ、そして勤勉実直な生き様そのものを幼少の頃より活模範して見せてくれたことで研究者としての資質を陶冶できたからなのです。 

5 父性愛とは
雲をみな 払い果てたる 秋風を 松に残して 月こそ見れ  
新古今和歌集 藤原 良経 

夜空に懸(か)かった雲を払いのけてくれた秋風が、松の枝を揺らし、月明かりがこぼれて足先を照らしているが、見るのはそこではない。顔をあげ松の木からのぞく月を見よ。

これは、戦国時代の武将「蒲生氏郷」が、配下の将兵が目先の事に注意を奪われて負戦が続き、戦局を打開できないでいる時に、教え諭した内容の本質を詠んだ歌です。この歌の意味は、「目の前の枝葉末節の状況に捕らわれることなく、私心を捨て透徹した使命感を持って、目標を確立し、それを見失うことなく追求しなさい。」ということです。
これは、子供を立派に育てる上で、心得ておきたい教えであると存じます。 

父性愛とは、義の愛とも云えますが、これは、正しく、強く、逞しく生きることを教える愛です。
子供が世の中のお役にたつ立派な人間となるように、原理原則(天理)に照らして家庭の教育方針を定め、大局的観点から子育てを俯瞰(ふかん)していなければなりません。
子供の自主積極的な生き方を見守りながらも、子供が正道を踏み外しそうになった時には、嫌われようが憎まれようが、毅然とした態度で方針を貫き(筋を通す)、云うべき云い、行うべきを行うということなのではないでしょうか。それが、本物の優しさであり、本物の愛情なのだと思います。
親父とは、人が生きる上での「あるべき姿」、「理想の姿」を熱く語り、家族が、子供が向かうべき方向を明確に指し示してあげる存在なのかもしれません。

  今年1年、皆様の御理解と御協力のお陰で、お預りさせて頂いている公文生の基礎学力を大きく伸ばすことができたものと確信致しております。心より御礼申し上げます。
尚、来年3月からは、隼人駅近傍に第二教室を開設させて頂くことになりました。
私達スタッフ一同、心機一転して、愛と感謝と笑顔を絶やさずに、一人一人のお子様に心を込めて熱く向き合って参りたいと存じます。
皆様が、よいお年をお迎えになられますようお祈り申し上げております。
今年一年、ありがとうございました。

*注釈
こうした厳しい指導方法は、誰にでも通用するものではありません。
基本的に、お子様の学習意欲が旺盛で、学習習慣が涵養されており、指導者・スタッフとお子様及び保護者様との揺るぎない信頼関係が構築されていることが大前提となります。
いずれにせよ、そのお子様の性格や保護者様の考え方を尊重し、保護者様との密接なコミュニケーションを図りながら、最適の教授要領を選択しております。

*追記(2013年6月23日) 
若いお母様やお父様方には、辛口の文章で申し訳ございませんでした。
歯に衣を着せぬ表現にお気を悪くされた点につきましては深くお詫び申し上げます。
うっとうしい姑のような存在かもしれませんが、公文生は私が愛してやまない子や孫と同じなのです。
彼らの将来の大成を心から願っています。
私の人生経験、指導実績や直感的な洞察力からお子様の将来の姿がありありと見えてしまうのです。
不思議なことに、この将来像の的中率は、良くも悪くも非常に高いのです。
その子の軌道修正が必要な場合は、どうしても保護者様との密接な協力連携が必要不可欠なため、回りくどい表現をしないで努めて率直にお伝えするようにしております。
ただ、これが場合によっては、ヅケヅケとしたものの言い方に聞こえてしまい誤解を受けることがありますが、どうもこの性格は直しようがありません。
他意は全く御座いませんので、気長にお付き合いいただければ有難いです。

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