KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 | 日記 | 20 何故、徳育を柱に据えると人生の成功者になれるのでしょうか(その1)

ソニー創業者:井深大氏曰く、教育は「幼稚園では遅すぎる」

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

20 何故、徳育を柱に据えると人生の成功者になれるのでしょうか(その1)

2012.04.07

1 徳育を柱に据えると成功する 
ユダヤ式教育を施されたユダヤ人やユダヤ系の人達は、政治、経済、金融、IT産業等あらゆる分野で成功を収めています。ユダヤ人の教育は、宗教教育が柱となっており、胎児・幼児の頃から読み聞かせや素読を行います。
幼稚園教育から義務教育が始まり、小学校や中学校でも放課後は宗教学校に行くのだそうです。教育による優秀な人材を育成することで生き延びてきた民族だからこそ、ユダヤ人の教育に対する真剣さや情熱には本当に圧倒されます。
宗教教育は、徳育そのものですから、これを柱に据えることで成功することを、ユダヤ人の歴史で実証しているのです。
さて、私も、幼児英才教育の目的は、第一義的に「子供達が幸せな人生を送れる。」としております。
一般的に、私達は、成功することで幸せになれると考えます。
しかし、そうではないのです。

 2 さっちゃん 幸せを見つける旅
さっちゃんは「幸子」といいます。
パパ・ママから「幸せになってほしい」とず~と言われ続けてきました。
「幸せって何?」 「見えるもの?」 「どこにあるの?」
さっちゃんはず~と思っていました。ある日、さっちゃんはパパ・ママが留守の時「幸せを見つけに行ってくるね」手紙を置いて家を出ていきました。 さっちゃんはある人に「幸せって何?」と聞きました。
「いい家、いい車、いい服、いいバックがあれば、私は幸せだわ」と言いました。
さっちゃんはある人に「幸せって何?」と聞きました。
「いい高校、いい大学、いい会社に入れたらぼくは幸せですよ」と言いました。
さっちゃんがある女の人に「幸せって何?」と聞きました。
「結婚こそ女の幸せよ」と言いました。
さっちゃんがある国の王様に「幸せって何?」と聞きました。
「権力こそ わしの幸せだ」と言いました。
さっちゃんは別の国の王様に「幸せって何?」と聞きました。
「我が国民の幸せと利益になる為だったら戦争もやるよ」と言いました。
さっちゃんはますますわからなくなりました。
「幸せって何だろう?」
いろんなところに行っておなかはぐうぐう、足はくたくたヘトヘトになってふらっ~ と車線に出てしまいました。 ぎゃーーー!!!!!!! さっちゃん・・・・・・目が覚めたようです・・・・見たら両足は包帯、おむつ・食事はチューブ
そう・・・・さっちゃんは事故で歩けなくなってしまったのです・・・・・もう歩けない・・・・・
厳しい現実を知って、さっちゃん大泣きしました。
私だけ・・・・こんなめにあったの・・・・私はただ幸せを見たかっただけなのに・・・・
ある日、子供が楽しそうに走りまわるのを見た さっちゃんは「いいね・・・あの子はは走ることができるから・・・・私だって前は走ることができた・・・・幸せだったのに・・・・・幸せだったのに・・・・・ 「あ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
さっちゃん 気づいたみたいです。
ふつうにあるけることが、どれほどしあわせだったか!
「あ!」 さっちゃん 気づいたみたいです。
ふつうにたべることが、どれほどしあわせだったか!
「あ!」 さっちゃん きづいたみたいです。
ふつうにおしっこできることがどれほどしあわせだったか!
「あ!」 「わたしは しあわせの中にいたのに『幸せ』をもとめてしまった!」
あたりまえの生活ができることがどれほど幸せだったか!
さっちゃん きづいたみたいです。 
それから 三年後 驚異的な回複したさっちゃんは今日も元気で学校に行きました。
さっちゃんは二度と「幸せって何?」と言わなくなりました。
それは さっちゃんは『幸せとは気づくもの』だと知ったから。
毎日のなんでもないことがとても幸せなことだと知ったから。
私はいまのままで十分幸せです。
たぶん あなたも・・・・・・・・・・・

  これは画家の川村武明さんの絵本の要約です。
彼は、アマチャアバンドで生計を立てようとしていましたが、思うようにゆかず、愚痴をこぼし、自信を失いかけて生活が乱れました。そして、不摂生が祟り34歳の時脳梗塞で倒れ、生死の境を彷徨います。
何とか一命を取り留めましたが、歩行困難、右手麻痺、言語障害、失語症及び聴覚障害を抱えてしまいました。深い絶望の底にあり何度となく自殺しようと考えたそうですが、周囲の色々な人に助けられ、介護され、励まされたそうです。
その時、何かお礼をしたいと思い、唯一動く左手だけで絵筆をとり、絵をかいて「ありがとう」としたためてお世話になった方々へ贈ったそうです。
その感謝の心のこもった絵に、皆さんが、心を打たれとても喜ばれたそうです。 絶望の淵に立っていた河村さんは、「自分は障害者だけど、自分をさらけだし絵を描くことで何かしら世の中のお役に立つことができるのではないかしら」と考え方が一変するのです。
それは、障害であることを悲観して嘆くのではなく、命を頂いた今あるがままの自分を受け入れ、すべてに感謝するという考え方に変わったのでした。
脳の言語中枢が壊死しているため話すことができず会話はすべて筆談です。しかし、たった一言「ありがとう」だけは言えるのだそうです。そして、かれは、毎日毎日、来る日も来る日も「ありがとう」を云い続けているのです。なぜなら、今、彼は心底本当の幸せを感じているからです。 
その意識革命が、歩行困難で車いすに頼る状態から、奇跡のような回復を遂げてしまいます。
更に、健常者であった時には、なかなか自分の願いや目標が実現しなかったのですが、障害者になったにも係わらず感謝の心で至福感で満たされるや、色々な願いや目標としたことが次々と実現するようになったのだそうです。

3 癌に感謝

霧島市在住の知人の女性がいます。
彼女は、他県出身者ですが、嫁がれた鹿児島で、子供が小さい頃ご主人が病気で他界されました。
実家のご両親が経済的支援をするので実家に帰るように説得するのですが、一人息子を亡くし悲嘆にくれる義理のご両親から、孫をも引き離して実家に戻ってよいものか迷ったそうです。
実家には彼女の御兄弟が一緒に住んでいるため、とりあえず、しばらくの間、年老いた義理の両親との同居を続けられたそうです。しかし、心優しい彼女はなかなか実家に帰ることを切り出せないままに月日が流れていきました。
義理の親の介護をしながら自分の人生がこれで終わってしまうことにいら立ち悩み苦しみました。
そして、そのストレスから癌を発症してしまいます。
そうした精神的にも身体的にもどん底の状態のとき、ある御縁から「般若心教」の写経を勧められました。毎日毎日写経を続けるうちに、心の持ちようが次第に変わっていったそうです。
私は、聞いていて耳を疑いましたが、以下のことを、「般若心教」が気づかせてくれたのだそうです。
なんと、それは、癌になったことに感謝し、癌細胞に「ありがとう」とお礼を言い続けたというのです。そして、しばらくするとその癌細胞が完全に消えてしまったそうです。
彼女は、「癌が教えてくれた」と言いました。詳しいことは語って頂けませんでしたが、病気とは、生活習慣、食習慣だけにとどまらず考え方や生き方等の過去の何かしら自分自身の言動が原因となり、その結果として顕在化したもので、その原因を正せば、薬を使わずとも、病気は役目を終えて姿を消してしまうと言っておられました。そもそも、生物には、自然の治癒力あります。東洋医学では、病気は生物にとって必要であるからこそ存在するもので、本質的に直すべきは、病気を引き起こした原因そのもので、発熱、発汗、嘔吐、下痢、膿、涙きながら鬱積したものを言葉や感情で吐き出す等の症状は、体内に蓄積された心身の毒素を体外に排出する生理的な浄化作用であって、この自然な浄化作用を効果ならしめる薬は良いとしても、これを阻止するような薬は使用すべきではないといった考え方があるそうです。従って、病気は、体や精神を浄化させてくれるのでありがたいというプラス発想になるようです。

癌が精神的なストレスが原因で発症したのであれば、癌そのものを抗がん剤や放射線照射で治療することも必要なのでしょうが、精神的なストレスそのものを改善することはもっと重要なことなのかもしれません。彼女の場合、他界した夫のご両親とは、血縁関係はないのですから彼女の行為とは、普通の人はなかなかできるものではありません。そこを、ある意味自分を犠牲にしてまで介護するという利他的行為は、相当な覚悟と信念がなければできるものではありません。しかし、そのストレスが癌を引き起こしたのであれば義理の親の介護を放棄しても何ら道義的な問題はないはずですが、彼女の素晴らしさを、自分自身の心の持ちようを変えたところにあると思います。
「般若心教」の教えが、自分の我を通すのではなく、真心を込めて義理のご両親のお世話をさせて頂くことが天理に叶っているよと気付かせてくれたのだそうです。
そして、今の自分の置かれている状態を嘆いてに愚痴や不満をこぼすのではなく、感謝し笑顔で愛に満ちた言葉を発するようにしたそうです。すると、心の持ちようが、だんだんと不幸感から幸福感へと変化していったそうです。そして、義理のご両親を真心を込めて介護をして最後を看とったそうです。
すると、不思議なことに、いつの間にか、癌が姿を消しており、その後、状況が好転し始め、彼女の願いが次々と成就していったそうです。
現在、彼女は、再婚され、今は多くの子供やお孫さんに囲まれ幸せに暮らしておられます。そして、何かしら悩みを抱えて苦しんでおられる方々が、その人徳の噂を聞きつけて訪れてくるようになったと伺っております。
今も、毎朝、一日も欠かすことなく写経を続けておられます。

 4 幸せを手にするために
ご紹介した上記の二つの事例は、ある大切なことを私達に教えてくれています。
私達は、誰しも何らかの悩みや問題を抱えながらも、「こうありたい」とか「こうなりたい」と夢を描きます。そして、その夢が叶えて成功すればどんなにか幸せだろうかと思うものです。 受験に合格して良い高校、よい大学に入り、よい就職ができれば幸せになれる
試合で優勝すれば幸せになれる
よい結婚ができれば幸せになれる
病気が治れば幸せになれる。
マイホームを持てれば幸せになれる
会社を起業して成功すれば幸せになれる

今現在、手元にない何かが現実になったときに幸せが訪れる-そう私達は信じてきました。
けれども、現実は果たしてそうでしょうか?自分の持っていないものが満たされた時に幸せになれるのであれば、何らかの目標を達成した人はすべて幸せになっているはずです。
ところが難関の試験を突破して第一志望の学校に入学したり、仕事の業績を挙げて昇進を勝ち取ったりしても、喜びが持続するのはほんのひと時にすぎません。
実際には、目標を実現した時点で更に上の目標が目に入り、手にするはずだった幸せは遥か地平に彼方へとどんどん押しやられてゆくのです。幸福感が成功によって手に入るものでないとすれば、私達はどのようにして幸せを掴むことができるのでしょう。

 5 幸せと成功の関係はコペルニクス的転換
文学博士鈴木秀子女史が、致知(ちち)3月号に寄稿された「人生を照らす言葉」にその答えが紹介されておりました。以下その要旨です。

太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているという地動説を提唱し、中世ヨーロッパの天動説という常識を百八十度転換した科学者コペルニクスの偉業にも匹敵する近年の脳科学の発見がありました。

その発見とは、「成功したら幸せになるのではなく、幸せになれば成功する」ということです。

成功の周りに幸せが集まるのではありません。幸せこそが不動の中心であり、成功はその周りを回っているにすぎなかったのです。
落ち込んだり、悲観的な思いに囚われている時、知らず知らずの内に間違った選択ばかりをしてしまったという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。後ろ向きの精神状態は思考の幅を狭め幸せから遠ざかるように自分を追い詰めていきます。 ところが、人は幸せを味わった途端に信じられないような力を発揮します。創造性は豊かになり、やる気が後押しして能率はどんどん上がり、結果的に物事が上手くいきます。

人間の脳は、前向きな気分の時、プラス思考の時に最もよく働くようにできているそうです。
これが、幾多の科学的研究により実証された成功と幸福をとの関係を表す鍵のなのです。  私達は、努力すれば成功し、成功して初めて幸せが訪れると思い込んできました。
ところが成功のために幸せを犠牲にしては精神や感情を健全に保てないばかりか皮肉にも成功するチャンスを遠ざけてしまいます。
幸せの感度を上げて、ないものに焦点を合わせるのではなく、今の恵みに目を向ける。
水が半分入ったコップを前にして、半分しかないと思うのではなく半分もあるという考え方を常に持ち続ける。そうやって今の環境の中にある幸せを味わっていれば成功は自ずとついてきます。 


*捕捉
①川村武明さんをユーチューブでご覧いただけます。
「左手だけで絵を描く一人のアーティスト」
http://www.youtube.com/watch?v=Tx9oN6nk7nc
②本内容は宗教等の布教活動とは無関係です。


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