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ソニー創業者:井深大氏曰く、教育は「幼稚園では遅すぎる」

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

14 本物の読み書き計算を目指して

2011.11.15

1 知覧にて
知覧特攻平和会館は、太平洋戦争末期の沖縄戦において、特攻という人類史上類例のない作戦で、爆弾搭載の飛行機もろとも敵艦に体当たりをした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示し、その鎮魂と威徳の顕彰を行っていますが、平和教育の場として年間約450校の生徒達が訪れているそうです。
知覧特攻平和会館では、語り部による講話及び特攻隊員たちの遺書・手紙などの閲覧を通じ、平和の大切さ・ありがたさや命の尊さを学習することができます。
特攻隊員は、若い人で17歳、今の高校2年生くらいの年でした。死を覚悟して過した短い日々の中で書かれた手紙や遺書には、親兄弟、愛する人への惜別の情や感謝の心、思いやりが詰まっています。 こうした歴史の上に、今の平和な日本が存在することは心に刻まなければと心を新たにした次第でした。
私達が訪れた日、金髪に染めた若い男女のカップルが遺影と遺書の前に肩を抱き合っている後ろ姿を見て、誰もが、何と不謹慎なんだろうと思いました。
しかし、そのカップルの前を通り過ぎたときに、実は、その女性は、溢れる涙と震える体をこらえきれずにその男性が支えているのでした。それを見て、誤解したことを心中で謝りながらも、また、感性の豊かな心優しい若者達がいることに感動し、新たに涙を誘われました。
遺書が発する言霊だけでなく、その書体は、みな品格があって美しく、訪れる人達を感動させずにはおれません。 その書体は、草書で書かれており、恐らく、今の日本人でこれをすんなりと読める人はあまりいないのではないかと思えるほどに熟達した見事なものです。それをこんなにうら若い人達が書けたという戦前の教育レベルの高さには、本当に驚かされます。  

2 幕末~明治の教育は世界最高水準
徳川幕府300年の鎖国状態は、日本独特の文化・慣習や武士道といった高邁な精神性を育みましたが、その一方で、欧米の近代的な科学技術や産業から取り残され、その帝国主義的な植民地支配の危機に瀕する状態にまで陥れました。 しかし、革命的な明治維新による殖産興業、富国強兵により日清・日露戦争に勝利し短期間に列強の仲間入りを果たしてしまいます。
これは、東洋の奇蹟と云われ、私が英国滞在中にも感じたことですが、今でも日本人だけは、「名誉白人」として特別な敬意をもって遇せられています。
この奇蹟を起こしたのは、幕末から明治にかけての藩校、私塾、寺子屋による世界に例を見ない高い教育が施されていたからです。
明治初期における日本の識字率は世界最高水準でした。
江戸における嘉永年間(1850年頃)の就学率は70~86%といわれており、イギリスの主な工業都市で20~25%、フランス14%、ロシア20%でしたから、外国に比べ就学率が非常に高かったのです。
藩士の子弟を対象とした藩校は、全国に255校に上り、会津藩の日新館、水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館、薩摩藩の造士館及び「米百俵の精神」で有名な長岡藩の国漢学校などが有名です。
「文武兼備」を掲げ、7~8歳で入学して文と武芸を学び、15歳~20歳くらいで卒業しました。「ならぬものはなりませぬ」で有名な会津藩では、その下に幼稚教育も存在していました。教育内容は、文として、江戸後期には蘭学も加わったようですが、主に「四書五経」の素読と習字、武として剣術・槍術・馬術がありました。
庶民の教育機関として全国に16、560軒の寺子屋が存在していました。寺子屋の教育は「読み書き算盤」と呼ばれる基礎的な読み方・習字・算数の習得に始まり、さらに地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる知識や技術の教育が行われたようです。
教材には「商売往来」、「百姓往来」等の実用書、「四書五経」などの儒学書、「国史略」などの歴史書、『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられました。

この他にも、主に成人を対象とした「私塾」には、咸宜園(大分・廣瀬淡窓)、鳴滝塾(長崎・シーボルト)、松下村塾(山口・吉田松陰)、適塾(大阪・緒方洪庵)、洗心洞塾(大阪・大塩平八郎)、梅花塾(大阪・篠崎小竹)等があり、世に知られています。
また、私達の郷土薩摩では、当時3人に一人は郷士という田畑を耕していた半農の武士集団が存在し、その子弟達がこぞって文武両道の郷中教育により知拡錬磨され、幕末~明治の動乱期に優れた人材が多く輩出されたことは特筆すべき事だと思います。


 3 右脳と左脳のバランスの取れた読み書き計算とは
こうした当時の教育の基本は、「読み書き計算」であり、現在と同じようですが、実は、質が全く異なっていました。
現在の学校の「読み書き計算」は、左脳中心ですが、幕末から明治期の「読み書き計算」は左脳と右脳のバランスの取れた内容となっていたようです。
当時の「読み」の中心的教材が「四書五経」です。 四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいい、君子が国家統治や政治に対する志を述べる大説として、また、人として正しい生き方を説いています。

つまり、「読み」とは、人間学そのものであり、徳育そのものだったという点です。
「読書百遍(ひゃっぺん)意自(いおの)ずから通ず」(魏志)、つまり、難しい文章でも繰り返し読めばその意図はわかってくるという意味で、乱読を戒め熟読をすすめた言葉ですが、こうした「四書五経」を何度も々、師との掛け合いによる唱和、音読を主体とした素読と知行合一による厳しい躾により、体に染みこませ、その理念や考え方を血となり肉となしたのです。
現在の教育では、恐らく先生方は、最初に、丁寧にその意味を教えようとするはずですが、当時の先生は教えずに、何度も何度も読ませて自分で考えさせたのです。
すると、子ども達は、一節読み終わると、黙って、或いは瞑想しながら、どういう意味なんだろうと考えたはずですし、分からなければ、上級生に聞いたいのかもしれません。いずれにせよ、この唱和、音読及び瞑想いう作業が右脳を非常に活発に使うことになります。

次に、「書く」です。 現在の教育では、書写として一部残ってはいますが、書道は姿を消してしまった感があります。パソコンのワープロ機能の発達により、ビジネス分野では、手書きは殆どありません。こうしたことから、学校教育でも、字は意味を知って読めること、正しく丁寧に書けること、そして出来るなら、早く書ければよいといった認識が定着しているようで、書体の美しさとか気品はあまり重視されていないようです。
公文の国語学習でも、早さを重視するあまり乱雑な字を書く傾向があり問題点として認識しております。
昔の「書く」は、書道でした。墨を擦り、筆で、貴重な和紙に魂を入れて書きました。
見る人に感動を与えるような美しく気品のある字を書くことが重視されたのです。
「書」は芸術であり、「道」だったのです。つまり、書の理法の修練により掛け軸のような芸術性を持たせて人間性を磨くことに他ならなかったのです。
この書が、イメージであり、創造であり、インスピレーションであり、善の人間の感性を磨くことそのものでしたから、右脳を非常に活発に使うことになります。
尚、表意文字である漢字と違い、欧米のアルファベットの短音文字そのものには、文字の意味が無いため、習字による芸術や徳育の概念は育ちがたいのです。

最後に、「計算」です。 現在は、電卓やパソコンのエクセル等表計算ソフトの発達により、日常生活やビジネス分野では、計算をすることは殆どありません。従って、学校教育では、計算は軽視され、文章問題や図形問題の比率は学年を追う毎に高くなる傾向にあります。このため、基本となる計算力が不十分で、中学生で、分数計算を基準時間内に正確にできる割合は3割に満たないというのが実態のようです。  
小学校の教育でも、例えば、「13-5」の計算は、まず、13とは、10の塊(かたまり)と3から構成されています。最初に10の塊から5を取ります。すると残りは5です。そしてこの残りの5に3を加えて8という答えを導き出します…と教えているようです。
現在の学校の算数教育では、計算は、子ども達に仕組みを説明して理解させるという論理的手法が採用されているようです。これは、完全な左脳思考ですので計算にはとても時間がかかります。
一方、昔の「計算」は、算盤(そろばん)でした。 縦の一ますに、9個の数珠玉(じゅずだま)があり、これが30~50列程あり、これをはじくことで計算をしますが、これに熟達してくると、右脳にイメージの算盤ができあがり、脳の中ではじき出します。すると、猛烈な数の計算を驚くような早さで暗算してしまうのです。 昔の計算は、殆ど右脳を使用していたのです。

4 不易流行(ふえきりゅうこう)
IT化や機械化が進むと快適で便利になりますが、益々右脳を使わなくなってしまっているようで、これが教育力や人間力の衰退の一因であるのではないかしらと私は危惧しております。
現在の日本の学校教育や受験は、左脳に偏った手法であるため、左脳を鍛えないと良い点数を取れないし受験で成功しないという側面があります。しかし、これが社会人となって成功するかというと必ずしもそうではありません。
逆に、学校教育では、落ちこぼれのレッテルを貼られた子供達や登校拒否に陥った子供達が、大人になって社会に出て成功する例に枚挙にいとまがないことも周知の事実です。そこにはある一定の相関的な条理の存在が推測されますが、この点はとても重要ですので、もう少し考察を加え検討しながら最終稿で触れさせていただきます。
いずれにせよ、当時の日本の読み書き計算は、右脳を活発に使い、左脳とのバランスが取れていたと云えますし、文武両道による心身の鍛練や知行合一(知識を知識で終わらせずに実践すること)の躾による徳育とも密接不離の関係にあったと云えます。
結果的には、この教育により、積極進取で、創造性やチャレンジ精神が旺盛な傑出した人材を数多く輩出し、日本人の品格溢れる文化・慣習と高邁なる精神性を生み出し、開国以来奇跡的な成長を遂げ、短期間に近代日本の礎を築いた原動力になったのは紛れもない事実なのです。 現在の教育に、反映すべき多くの教訓やヒントが存在すると思います。
教育にも、時代の変化に伴い変えるべきものと、変えてはならないものが厳然としてあるはずです。
歴史的な顕彰館、慰霊碑、資料館や美術館を訪れると、静かに歴史を学びながら将来を洞察することが出来ます。そうすると、そこに教育の本質が見えてくるような気が致します。柱がぶれないようにしなければと心を新たにした次第でした。 

* 追記
①公文の幼児~小学校低学年用国語教材(8A~3A)は、ひらがなや漢字を大きなマスの中でなぞる書写機能があります。乳幼児用には、更にその前の段階の「ぐんぐん教材」があり、これは直線や曲線を引いて、正しい鉛筆の持ち方、姿勢及び筆圧を練習します。こうした過程を丁寧に繰り返し行うことで、美しい字を書くための基礎力が養成されます。 
②公文式と算盤(そろばん)との違い
  本ホームページをご覧になられた保護者様が公文式より算盤の方がが良いのですかとの質問をお受けいたしました。確かに、足したり引いたりする加減剰余の四則演算だけであれば、算盤の神業的計算力には太刀打ちできません。しかし、公文式の計算とは、正確で早い代数計算力を養うことを目標としております。つまり、数字だけでなく文字や演算記号が混入された因数分解、方程式及び微分積分をすらすらと行える能力を養うことを目標としています。当然こうした代数計算は算盤ではできません。論理的な思考力も要求されるので右脳だけでなく左脳も機能しなければなりません。算盤を否定するつもりはありませんが、目指すところが全く違うのです。

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