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ソニー創業者:井深大氏曰く、教育は「幼稚園では遅すぎる」

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

11 右脳を開発する

2011.09.12

1 リーダーや偉人は右脳が活性化している
澤 穂希(さわ ほまれ)は、「なでしこジャパン」のキャプテンですが、ワールドカップの最中に海外のメデイアが、澤選手にインタビューし、この日本語訳がツィッターで流れました。

「今、日本は、東日本大震災で被災した人、生活苦を強いられている人、生きるのが辛い人が沢山います。その人達に勇気を与えることだけを考え、私達が頑ばって世界一を取れば、弱い人、苦しんでいる人達に光を与えられるかもしれない。」 

和訳ですが、その文章があまりにも美しく心がふるえるほど感動いたしました。
ただ勝てばいいというのではなく、苦しむ人達に光を当てたいという素晴らしい志があるからこそ、運とツキを呼び込み奇跡を引き起こしたと思います。 
私は、サッカーは全くの門外漢ですが、彼女は、試合での流れをイメージアップできる力が尋常ではないことが素人の私でも分かります。
彼女は、フォワード(攻撃)とデイフェンス(防御)の中間に位置して司令塔としてこれらを繋ぐ役割をしているそうですが、彼女は、ボールが来ない内に、将来ボールが来るであろう地点に先回りして、ボールを受けたり奪ったりしています。そして瞬間的なひらめきで相手のチームの裏をかいたりしています。そして、自分の後ろにいる味方の選手にボールをパスします。まるで、後ろに目があるようです。これは、澤選手の右脳の働きが、非常に高いレベルにあることを物語っているのです。

右脳の長けた薩摩の偉人に島津義弘公がいます。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが始まってから数時間、東軍と西軍の間で一進一退の攻防が続くなか、午後2時頃、小早川秀秋の寝返りにより、それまで西軍の中で奮戦していた石田三成隊や小西行長隊、宇喜多秀家隊らが総崩れとなり、敗走を始めました。その結果、島津軍1500人は退路を遮断され、敵中に孤立することになってしまいます。
この時、義弘は後世まで語り継がれることになる驚くべき行動に打って出ます。八方を東軍に囲まれた絶体絶命のピンチを前に、敵の大軍の中を中央突破することを決意したのです。敗走ともなると敵に背を向けて一目さんに逃げるのですが、義弘は徳川家康本陣方向に錐の隊形で戦いを挑んでいくのです。これは自暴自棄な「万歳突撃」ではなく、敵の意表を突いて怯ませ、正面の伊勢街道から海路を経て薩摩に退却するという咄嗟の「ひらめき」でした。そして、敵の意表を突く作戦の推移を頭でイメージアップできたのです。
島津軍は先陣を甥の島津豊久、右備を山田有栄、本陣を義弘という陣形で敵中への突撃を開始しました。
 示現流で鍛えた精強な薩摩武士団の気魄ある攻撃に、徳川勢は驚き怯んでしまい、その隙に敵の第一線突破に成功し伊勢街道へ向けまっしぐらに疾走します。この時、島津軍は主君である義弘を守るため、捨て奸(すてがまり)と言われる何人かが留まって戦い敵の足止めをし、それが全滅するとまた新しい足止め隊を残すという壮絶な戦い方をしました。結果、豊久や義弘の家老・長寿院盛淳らが戦死し、多くの将兵も犠牲になりましたが、東軍も井伊直政や松平忠吉の負傷によって追撃の速度が緩み、まもなく家康から追撃中止の命が出されたこともあって、義弘自身は奇跡ともいえる敵中突破に成功したのです。
徳川家康は、この戦いであわや首を取られる寸前まで薩摩軍に近接されたようで、その恐怖心から、天下平定後も、薩摩藩を取りつぶすことは出来きず外様大名として残さざるをえなかったのです。
 
また、西郷隆盛や吉田松陰も右脳が長けており、幕末、列強による植民地化が進むなかで、危急存亡に立つ日本の国あり方をしっかりとイメージアップし、これを説いております。両者とも、島流しや牢獄での蟄居生活のなかで、儒学、朱子学や陽明学等の読書を通じて、瞑想し天と対話をしていたと伝えられております。
海外では、十八世紀の天才作曲家モーツアルトは、「全曲は一瞬のうちに出来上がる。あとはそれを楽譜に写すだけだ。」と…
また、アインシュタインは、「私は、考えるとき言葉では考えない。躍動する形、イメージで考える。それがまとまると努力して言葉に置き換える。」と…合理的科学者が言葉や計算や理詰めではなく、インスピレーション(ひらめき)やイメージによる感性で相対性理論が生み出されていたのです。
また、史上初の七冠王に輝いた将棋の羽生善治(はぶよしはる)名人の対局中の脳波を測定したところ、四分の三は右脳を使っているそうです。つまり、一手一手、理詰めで考えているのではなく、局面毎にイメージ化して思考を進めているのです。 
対局後は、全ての手を暗記しているので、一から再現できるのだそうです。
因みに、羽生名人は、幼児英才教育を受けた公文生です。

2 親の論理と机上だけの詰め込み教育がもたらすもの
  以下は、以前、私の知合いの教育関係者から伺った話です。
大企業の管理職につき、部下からの信望も厚く、仕事にも非常に熱心な大橋さん(仮称)という方がおられます。奥様も、学生時代に取得した資格を活かし、キャリアウーマンとして、独身時代から結婚、出産を経て今日までずっとそのお仕事を続けてこられました。
お二人とも、学歴、教養、人格ともに申し分のなく、夫婦関係も人が羨むほど仲の良い方々だそうです。そして、10年ほど前に、東京都内の閑静な住宅街に新築のご自宅を建てられました。サラリーマンの身では、親からの財産譲渡がないかぎり、なかなか都内に一戸建ての家を持つことはできません。
これが可能になったのも、御夫婦が、一生懸命働いてこられたから可能となったのです。
このご夫婦には、お二人のお子さんがおられ、教育熱心な御両親のもとで、英才教育を施され、大切に育ててこられました。
そして、長女が、旧帝大に当たる某国立大学医学部に進学され、次男も有名大学にそれぞれ進学されました。 ここまでは、誰が聞いても、非の打ち所のない幸せなご家庭を築かれたと思われることでしょう。
しかしながら、今、お二人は、非常に悩み苦しんでおられるそうです。しかも、あることで特に悔やんでおられると伺っております。
それは、“子育て”に関してなのです。
長女が学ぶ某国立大学医学部は、地方に存在するため、大学近傍のアパートで一人住まいを始められたのです。入学当初は、「医者になれる」という念願の夢が叶い、親子共々希望に満ち溢れておられました。そして、頑張りやの娘さんは、更に、勉学を励まれ、医学部でも常に上位の成績を収め、また、教授の方々にも将来を嘱望され可愛がられていたそうです。
ところが、2年生の夏頃から、その娘さんの様子がおかしくなってきたそうです。
全身に力が入らず、虚脱感に襲われ、勉学に集中力を欠くようになり、欠席が目立つようになったそうです。当然、成績が下がり、次第にアパートに引き籠もるようになったそうです。そのころから、御両親との電話で、無力感を訴え始め、生きる意義を見出せないと自殺をほのめかすようになってきたそうです。
そして、心配でたまらない御両親は、代わる代わる休暇をとって、頻繁に娘さんのもとに会いに行かれるようになりました。
娘さんは、心身症と診断され、暫くの間、休学して御両親の元での自宅療養を余儀なくされたのです。「人並み以上に娘を可愛がり、待望の医学部に合格して医者になる夢が叶おうとしている今、何故、心身症にならなくてはいけないんだ?」と、やるせない気持ちでいたたまれず、どうして良いかわからないと苦悩の色を浮かべ沈み込んでおられたそうです。
このご夫婦は、娘さんが国立大医学部に合格するために、幼少の頃から、高い月謝を払って家庭教師をつけ、名の通った学習塾そして進学塾に通わせました。そして、将来、開業医師として独立することまで見込んで、懸命に働き、教育費や開設資金等を貯蓄されてきたと伺っております。それもこれも、全て子供さんのためと思って頑張ってやってきたことでした。
心身症とは、肉体的にはどこも悪いところがないのですが、精神的に鬱状態が続く等心が病んでいるため、体が動こうとしないのだそうです。枕元にある電話を取ることも億劫になり、食事を取ることでさえ煩わしく感ずるのだそうです。
そもそも心身症になる原因は、医学的に、明確に突き止められていませんし、問題は心にあるわけですから、薬では完治しようがないというのが現状だそうです。
しかし、精神・神経医学、心理学、児童教育専門家の長年の研究によると、その発端は、乳幼児期にまで遡るのだそうです。
いわゆる“母子分離蹉跌(さてつ)”です。
母子分離蹉跌とは、母親と子供が、精神的に、別々に分離出来ずに自立できない状態を指します。つまり、子供は、母親の愛情にまだ飢えているのです。
母親もまた、子供の愛情に飢えているのです。
言葉を代えて申上げるならば、母親の愛情が、子供の心の容器を満杯になるまで満たしきっていない状態を指すのです。この心の容器を満たす強力な手段が、スキンシップと言われておりますが、それも乳幼児期から小学校低学年までの間、肌と肌がふれあい、ぶつかり合うダイレクトなスキンシップが、親子を繋ぐパイプとして非常に重要なのです。
例えば、母乳を飲ましたり、膝に抱いて本読みをしてあげたり、背負って買い物に行ったり、添い寝をしてあげたりすることです。これは当然父親にも当てはまります。この時期の子供はお母さんのみならず、お父さんも大好きで、じゃれつき、まつわりついてきます。そうした時、お父さんは一緒になって、相撲をとったり、お馬さんになって子供を乗せたり、一緒にお風呂に入ったりしてスキンシップを図らなければなりません。そうしたスキンシップを通して、お父さんとお母さんの無償の愛情が子供の心の容器に注入されてゆくのです。
乳幼児期から小学校低学年までの間に、子供の心の容器の約70%が、こうした直接的なスキンシップを伴う子育てを通して、親の無償愛が伝達・注入されて満たされなければなりません。
この時期に、十分な愛情が注入されないと、思春期を迎える子供とのスキンシップは、子供が嫌がり難しくなるため、子供は、心の愛情の容器が満たされないまま成人してしまうことになります。また、親の心にも、自分の愛情を注ぎきっていない未達成感が残り、親子の距離がだんだんと離れていくにつれ、後ろ髪を引かれるような焦燥感が募って参ります。
こうして大人になった人達は、艱難に遭遇した際、非常にもろい傾向にあります。折れやすいのです。困難に立ち向かう際の心の支えが脆弱なのです。精神的基盤が確立されていないのです。  上記の医学部に進学された娘さんは、正に、この母子と父子分離蹉跌及び机上だけの教育にその原因があったのです。
この御両親は将来の人生設計をたて、子供の教育費、住宅ローン、個人病院開設資金等の必要経費を捻出するために、フルタイムで働かれたのですが、子供さんとの十分なスキンシップは、殆どなかったそうです。娘さんは、お友達との遊びや自然体験や社会体験をすることもなく、学校から帰ると、ご両親は不在で、予めアレンジされた家庭教師に勉強を教えて貰い、塾や習い事に通い、その後、御両親が帰宅するまで、一人で黙々と勉強していたそうです。
娘さんは、本当はとても寂しかったのだそうです。
素直な娘さんは、親に反抗したことが殆どなく、また、ご両親が、自分のために一生懸命頑張っていることを知っていたので、御両親の期待に答えたい、御両親の注意を引きつけたい、誉めてほしいとの一心だったそうです。お父さんの帰宅より、お母さんが遅くなることもあり、帰宅後、ばたばたと料理の支度をして、夕食をすませ、掃除・洗濯が終わると疲れて、シャワーを浴びる元気もなく、そのままソファーに横たわり、朝までドロのように眠ることもよくあったそうです。それでも、ご両親が頑張ってこられたのも、「娘を医者にするため、娘の夢を叶えるため」という大きな大義名分と論理があったからなのです。
この娘さんは、自宅で療養中、専門家のアドバイスに基づき、精神的リハビリを受けておられると伺っておりますが、話しても信じて貰えないような事を、母子で取組んでおられるそうです。
具体的内容は仰って下さらなかったそうですが、一言で申しますと、20年前にタイムスリップして、娘さんが乳幼児さんになり、御母様が、その当時のお母さんになって、一緒にスキンシップを通した愛情の伝達たる子育てを、一からやり直しているとのことでした。
因みに、息子さんはどうかというと、大学に行ったものの、今年の春で、大学7年生になるそうです。素直で容姿端麗な上、頭も良く、大学の勉強も問題はないはずですが故意に単位を落とすのだそうです。彼もまた、外に飛び立てないのです。親元から離れたくないのです。
母子と父子分離蹉跌が原因で、十分な愛情が注ぎ込まれておらず、机上での知識教育偏重なため生きる力(虹の徳目)が涵養されていないためです。
男の子の場合、娘さんのような手法によるリハビリは、更に難しくなって参りますので、御両親の心配は尽きないとこぼしておられました。

3 子育てプランの目標
上記の娘さんは、自分自身で医者になりたいと決めたのではなく、親が決めたレールを忠実に歩くことによって親の愛情を繋ぎ止めたかったのでしょう。子育てプランとは、親の一方的な論理で、お子様の人生をプランニングすることではありません。これをはき違えると子供の人生=親の人生となってしまい、上記のような悲痛の事態を招きかねません。目標を達成するために、余計なことや無駄を削り、そこに全てを全力投球する。確かに、目標を達成しているので、一見、論理的にも筋が通っているようですが、人間の幸せとは?、生きる力とは?、何故人は生まれてきたのか?といったもっとも「本」となる思想・信条が欠落していたように思えてなりません。
目標とは、目的の下位にあるもので、目的をブレイクダウン(具体化)したものです。従いまして、生きる目的を達成するためにそれぞれの目標が時系列的に設定されなければなりません。
これを逆算すると、目標を、時系列的に一つ一つ達成しながら、生きる目的を成し遂げることになるのです。
上記の例では、親子のスキンシップを通じた無償愛の伝達や受験上は無駄に思えるスポーツ、芸術、自然体験や社会体験を通じて涵養される感性や虹の徳目といった情操教育が、乳幼児期から思春期にかけて完全に抜け落ちており、左脳中心の知識教育に偏った子育てになっていたのです。
子育てとは、その年齢に応じて、その年齢の時にしか施せない教育というものがあり、その時期を逃すと手遅れになり、取り返しのつかないものがあるのです。

子供の人生とは、子供が自らプランニング化して決めるべきものです。従いまして、親等保護者様の子育てプランの最終目標とは、子供が自分自身で、自分の人生プランを描き自分の力で歩き始めるまで、つまり、自主自立、独立独歩の力を陶冶するまでだと思料いたしております。親が子供のレールを敷くのではなく、子供が将来の進むべき方向性を自分自身で見出すお手伝いをする。そして、お子様の性格や能力を踏まえて、その適性や嗜好に合う環境を整えてあげる。子育てプランとは、そうしたことをプランニング化することに他なりません。
そして、知育という視点に立てば、この最終目標を達成するための、中間目標となるのが、自学自習力と学習習慣の涵養であり、当面の目標としては、知的好奇心を育み、学ぶことを大好きにさせることなのだと思料いたしております。 

4 知識詰め込みに偏重した左脳教育にどう対応すればよいのでしょう
さて、今の学校教育は、週5日という限られた教育時間のなかで教えるべき内容が非常に多くなっています。そのため、教科書にそって、教室という狭い空間で受動的に教えてもらい、家の勉強部屋や塾に閉じこもって、宿題や予習・復習を行い、これらを知識として覚えます。そして、これを必死に行わないと学校の授業進度のスピードにはついていけません。そして、これら知識をどれだけ暗記しているかをテストして相対評価(他者との比較で評価)します。今年度からの、学習要綱の改訂に伴い、学校での授業内容が増加したため、こうした傾向に拍車がかかっております。また、高校・大学受験もその延長線上にあります。
しかし、これは、極端に左脳に偏った教育で、黙々と鋳型にはまり、定められたメニューをこなして他者への関心を遠ざけて机上だけの勉強で終始してしまうことになりかねません。
しかし、こうした偏った教育は、上記例のように、人格的なゆがみや能力の偏りがでてしまい、いつか、どこかで破綻しかねないのです。

こうした現状への対応として、胎教からの幼児英才教育が有効であると思料致しております。
赤ちゃんは、みんな天才です。
赤ちゃんの時に開いている右脳を鈍らせないように丁寧に磨きを掛けていくと、やがて、言語、計算、知識、論理、判断を掌る左脳を強力にバックアップできるようになります。
こうした丁寧な準備をしてから学校へ入学すると、学校の先生方の論理的な説明が理解できるようになります。つまり、高い理解力、読解力及び計算力は、建物の上部構造にあたり、文字、数字、言語及び音楽等感覚は、土台にあたりますが、しっかりした基礎の上に建てられた建物は大きな地震の揺れにも、ゆとりを持って耐えることができます。
同じように、胎児・幼児期に丁寧な右脳教育を施されたお子様たちは、学校教育にゆとりをもって対応出来るのです。そして、そのゆとりを、勉強や遊びだけでなくも、サッカー、絵やピアノ等スポーツや芸術活動やボランティア活動に振り向けることができます。
左脳の知識教育だけに偏らず、右脳の感性をバランスよく伸ばしながら全人教育を可能にするのが乳幼児(胎児からが望ましい)からの早期英才教育なのです。

日本の幼児英才教育は、公文式に限らず、井深式、七田式や日学式でも、基本的な早期教育の考え方や教育技法は、共通する点が多いようです。これは木村久一氏により明治後期~大正時代にカール・ウ‘‘ィッテの天才教育として日本に紹介されたのが始まりだからです。

その教育技法の一例として、絵、漢字、諺、俳句カード、百人一首、英語や点等のフラッシュカードやドッツカードを、スピード感を持って素早く、見せて隠したり、聞かせたりします。
また、読み聞かせや童謡を歌ってその場面を右脳で想像してイメージアップして、これを絵に描いてお話(説明)する訓練を行います。更に、絵本の中の挿絵を見せて、その後の展開を推理したり、ストーリーを自分で考えて創作したり演技したりします。そして、これをお母さんとのスキンシップにより遊びながら行います。
そして、できたら、思いっきり笑顔で褒め称えます。こうしたトレーニングで、前頭前野や右脳がフル稼働して、信じられないような写真記憶、計算力、絶対語学感、創造力、探求心、創意工夫、ひらめきや集中力が陶冶され、学ぶことの楽しさを体得するのです。
ただし、こうした教育技法は、あくまで幼児英才教育の一手段であって、5感を伴う遊び、運動、芸術、自然・社会体験、親子のスキンシップ等活用できる資源を総合的に組織化して、計画的に行うことが大前提なのです。
そして、先稿「子育てプラン」で紹介させて頂いたように、計画の中の「日々のタスク」を、ご家庭で、保護者の方が、お子様と毎日丁寧に実行することが習慣化されなければなりません。
当教室では、「三つ子の魂百まで」の諺にもあるとおり、上記のような、乳幼児右脳トレーニングが、胎教から始まり3歳までには一通りスムーズに行えるようになり、3歳からは、右脳トレーニングに並行しながら通常の公文式学習へとソフトランディング(ゆっくりと移行)するのが理想的なプランとなります。特に、乳幼児能力開発に特化した「ベビー公文」や「MIC技法」は、非常に大きな効果が望めますが、3歳までしか行えません。胎児や赤ちゃんからの能力開発の重要性を気づいて頂きたいと願わずにはおれません。
(前章でもご紹介させて頂きましたが、胎教から3歳までが一番大切な黄金期です。)

 小学校と中学校の全国学力調査の結果、幼稚園教育を受けた子供の平均点は、保育園に通った子供の平均点より高くなっています。幼稚園も保育園も通わなかった子供の平均点は最も低くなっています。文部科学省も、幼児期の教育の重要性を認めています。
お子様が、保育園や幼稚園に通われる場合、そこで過ごされる時間が多くなりますので、その選定の適否が幼児英才教育の成否に大きな影響を及ぼします。




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