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ソニー創業者:井深大氏曰く、教育は「幼稚園では遅すぎる」

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

10 子育てプラン

2011.09.07

1 教育なんてものは、木の葉のようなもので、揺すれば落ちてしまうようなもので、いつも幹だけが残るんです。
これは、小説家の野上弥生子(のがみやえこ、1885~1985)が残した言葉です。 
私も、年を重ね、様々な経験や色々な人達との出会いや別れを通じて、人生観や教育観についてそのあるべき姿がだんだんとはっきり見えるようになって参りました。
人は誰しも、「生者必滅」の定めから逃れることはできません。
年を取るとともに、体力が衰え、視力・聴力が衰えてくると、新聞が読み難くなり、英単語を忘れ、漢字を忘れ、因数分解も忘れ、ピアノも弾けなくなり、サッカーボールも蹴れなくなってしまいます。そして、ついには、歩けなくなりこの世を去ってゆくのです。
では、何のために、人は、新聞や本を読み、英単語を覚え、漢字を覚え、因数分解を解法し、ピアノの練習やサッカーの練習をするのでしょうか?
ある人はいいます。「無駄」だと。「どうせ、いつかは忘れてしまうのだから、苦労して身に着けても意味がないじゃない?だったら、そんな面倒なことはやめて毎日好きなことだけを、面白い事だけをやったほうがいいわよ。」と。
でも、本当にそれでよいものなのでしょうか?
新聞や本を読み、英単語を覚え、漢字を覚え、因数分解を解法し、ピアノの練習やサッカーの練習、そして、公文学習これらは、すべて木の葉なのだと思います。

木の葉は、その葉緑素が、光合成により、太陽の光と水と窒素から澱粉たる栄養素を製造し、その幹に蓄積し樹木を成長させてゆきます。そして、木の葉は、役目を終えたとき朽ちて落葉となるのです。
従って、本を読むために本を読むはずではありません、試験に合格するためだけに英単語や漢字を覚え、因数分解を解法するのではないはずです。
ピアノを弾くためにピアノを弾くのではなく、発表会で上手く演奏するためだけにピアノの練習をするわけではないはずです。
サッカーもしかり、サッカーが楽しいから、体力がつくからという理由だけでサッカーをするのでしょうか?
試合に勝つためという目標達成のためだけにサッカーをするのでしょうか?
それだけではないはずです。
公文学習も学校でよい成績をとるためだけに、受験に備えてのためだけに公文学習をするわけではないのです。

そうした木の葉はいずれ落ちてしまいますが、それは、人間の本質、幹を成長させるためには必要不可欠なものです。

2 人間の幹とは
平成15年に父が逝去し喪に服している時に、父と私達家族がコミュニケーションを図り、実際に大切なことを決めてもらったり承認してもらいました。
肉体的には、火葬で消滅していますが、父の魂は厳然として喪に服する家族と共にありました。それは、怖いとか不思議といった感情ではなく、とても温かく安らかで、笑いさえ出るような和やかな雰囲気であったことを、今でも鮮やかに記憶しております。 
人間の死とは、魂が肉体から離脱することで、魂というのは永遠なのだということを身を持って体験したのです。
しかし、目に見えない事象なので、信じられないと思われる方もおられると思います。
しかし、自分だけでなく家族全員が体験した事実なので夢でも幻覚でもありませんし、実際、これを契機に、子供の教育を根本的に見直さなければならないと深く気づかされたのです。

 この実体験を経て辿り着いた結論は、正に「人は何のために生きているのか?」という問いに対する明確な答え(生きる目的)でした。
つまり、この世とは、「道場」であり、生きるとは、即ち「修行」により自己の霊魂を磨くことなのではないかしらということです。
生きる途上で、様々な人との出会いのなかで、愛する人や尊敬する人に出会い、喜びや感動することもあれば、憎たらしくて嫌悪したくなる人に出会い怒り苦しむこともあります。成功することもあれば、失敗し恥をかき、挫折して引き籠もりになることもあるでしょう。
しかし、これは、すべて自分にとって必然であり必要なことなのです。
自分の魂を磨く砥石として必要不可欠なものですので、艱難辛苦を有り難いと思い、自分を批難中傷する人を恩師と思い手を合わせて感謝する姿勢が必要なのだと思います。そして、これらに自己のベストを尽くして誠意を持って丁寧に対応することが大切であると思料致しております。
そうすることで、自分の人生という生涯を掛けて、自分がなすべきこと、つまり、「魂を磨く=人間としての成長」を達成することができるのだと思います。

3 人間の幹たる「魂」を磨くための教育の本質とは?(カリキュラムの本質)
(1) 教育者とは(誰が教えてくれるの?)
西郷隆盛や吉田松陰が座右の書としていたことでも有名な、幕末の儒学者「佐藤一斎(いっさい)」の言志四録(げんししろく)」に次の言葉が、師と仰ぐべき対象を明らかにしております。 

太上(たいじょう)は天を師とし、其その次は人を師とし、其の次は経(けい)を師とす。
最上の人は「天地自然」を師と仰ぎ、その次は「尊敬する人」を師と仰ぎ、更にその次は「教え」そのものを師とする。
つまり、現世で自分の目の前に出現するもの全てが最良の師であるということです。
従いまして、病気、怪我、自然災害及び人間関係のトラブル等も全て「最良の師」ということになります。

(2) 教育期間(勉強はいつまでするの?)
少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、 則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。」 
子供のころからしっかり勉強しておけば、大人になって重要な仕事をすることができる。
大人になってからも更に学び続ければ老年になってもその力が衰えることがない。
老年になってからも学び続ければ、死んで肉体が消滅しても、自分の残した業績が次世代に継承されていき、魂は生き続けて輝きを増す。
つまり、一生涯勉強なのです。

(3) 学ぶべきもの(何を勉強するの?=魂のどういった側面を磨くの?)
「生きる力」を学ぶ!
生きる力とは、幸せになる力であり、世の中に良い影響を及ぼす力であると考えております。そして、こうした力を涵養することで、人間として成長を遂げることができ、生まれてきた目的である「魂の錬磨」を達成することができると考えております。
個人的に、生きる力を下記の七つの徳目として捉え、希望の象徴たる「七色の虹」に喩えて「虹の徳目」と名付けさせて頂きました。
一灯照隅(いっとうしょうぐう)  世の中に役立たせて頂くという感謝報恩と利他的な奉仕、喜捨及び孝の精神
公明正大(こうめいせいだい) 嘘や不正や卑怯な振る舞いを恥じ、正義感が強く、私心がなく、明るく偏りのない公平な義の精神
立志立命(りっしりつめい)     大乗愛に根差した星雲の志を自己の使命とする精神
寛仁大度(かんじんたいど)   寛大で情け深く、思いやりがあって、譲って、許しあって、助け合う調和(仁)の精神
誠実謙虚(せいじつけんきょ) 真面目で真心がこもっており、奥ゆかしくひかえめで、陰日向(かげひなた)のない素直な精神
堅忍不抜(けんにんふばつ)  途中で、いじけず、きれないで、妥協しないで、怠けないで、諦めないで、堪え忍び、粘り強く努力を継続してタスクを完遂する精神力とこれを支える燃えるような情熱
質素倹約(しっそけんやく)    おごらず、かざらず、つつましく、物的・食的・エネルギー的・金銭的・時間的な無駄使いをせずに、大切に愛護節用する知足の精神

(4) 教育要領(どうやって学ぶの?)
では、上記「生きる力」をどうやって学ぶのかを示唆してくれるものに新約聖書のマタイ伝七章に次の教えがあります。

Enter by the narrow gate; for the gate is wide and the way is easy, that leads to destruction.
Enter by the narrow gate; for wide is the gate and broad is the way that leads to destruction, and there are many who go in by it. Because narrow is the gate and difficult is the way which leads to life, and there are few who find it

狭き門より入れ。
滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。
狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、生命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。 

これは、人生を生きる道というのは、幾通りもありますが、人間は易きに流れやすいものです。なるべく、苦労や辛く悲しい思いをせずに、苦難からはスルリと逃げたり回避したりして、なるべく楽に楽に要領よく生きようとするものです。私もそうですが、一般的に多くの人は本能的にそのような生き方をするのではないでしょうか。当然のことながら、このルートは、ゲートが広くて大きいので入り易く、また道路も広くて整えられているので歩きやすいのです。しかし、聖書は、そのルートが破滅に通じていることを教えてくれています。本物の幸せに至るルートは、厳しい棘の道で多くの困難が待ち受けております。このルートを選択する人は少ないので、道も狭くゲートも小さくて狭いのです。この道を選んで歩く人は、「我に七難八苦を与えよ」との覚悟と信念が必要ですし、多大なる努力を強いられるのです。
しかし、聖書では、この道しか真の幸福を得ることはできないと教えており、現世に肉体を持って生まれた意味がここにあることを教えております。
従いまして、教育要領とは、つまり、「生きる力」たる虹の徳目(学ぶべきもの)を陶冶する方法は、覚悟を決めて楽で安易な道を捨て、敢えて狭き門より入って厳しい困難な道を選択します。そして、待ちかまえる艱難辛苦を砥石として生きる力の虹の徳目を磨くことだと考えております。

また、鎌倉時代1200(正治2)年生誕、曹洞宗をひらき、永平寺の開祖となった道元禅師に次のような教えがあります。

「玉は、琢磨(たくま)によりて器(うつわ)となる 人は錬磨によりて仁となる いずれの玉か初めより光ある 誰人(たれびと)か初心より利なる 必ず須(すべから)くこれ琢磨し錬磨すべし 自ら卑下(ひげ)して学道を緩(ゆる)くする事なかれ」

ダイヤモンドの鉱石は、これを研磨してこそ美しい宝石となる
人間も、修行により己を磨いてこそ、大愛をもった人となる
どちらも、原石のままでは光り輝くこともなければ世の中のお役に立つことはできない
錬磨研鑽(れんまけんさん)なくして本物にはなれない
「自分にはできない」とか「自分には無理だ」とか卑下することなく 厳しく己を律して勉学に励まなければならない

(5) 教材(学ぶツールとは?)
では、お子様に、どういった教材をツールとして使って「生きる力」を陶冶するのかという点につきましては、これが、正に冒頭で述べさせて頂きました新聞や本を読み、英単語を覚え、漢字を覚え、因数分解を解法し、ピアノの練習やサッカーの練習、そして、公文学習等なのだと考えております。
ピアノを弾くためにピアノを弾くのではなく、発表会で上手く演奏するためだけにピアノの練習をするわけではありません。継続的に練習するなかで、粘り強く努力を継続する「堅忍不抜」の精神や感性豊かで情愛に溢れた「誠実謙虚」な精神を育むことができます。
サッカーもしかり、サッカーが楽しいから、体力がつくから、試合に勝ちたいからという理由だけでサッカーをするのでなく、厳しい練習を通じて「堅忍不抜」の精神や、チームワークなかで、気配りをして譲りあい、お互いのミスを許して励まし合う等の「寛仁大度」の精神を陶冶することができます。
そして、奇しくも、「なでしこジャパン」がサッカーワールドカップで優勝という栄冠を勝ち取り日本を感動の渦に巻き込みました。彼女たちは、何のためにサッカーをするのかをはっきりと教えてくれた気がいたします。東日本大震災復興のために、被災者を元気づけるためにプレーし、そして、各試合終了後は、「世界の皆さんサポートありがとう!」の垂れ幕を持ってグランドを歩きながら日本を支援して下さった世界の人々に感謝のお礼を表してくれました。こうした言動の中から、彼女たちには「一灯照隅」や「立志立命」の精神が育まれているのを強く感じ取りました。
公文学習も、全く同様なことが云えます。(サービスメニュー)

このように、子育てとは、子供の勉強とは、人間の幹たる「魂」を磨くことに帰結しなければならないと私は考えております。
人はこの世を去るときに、家、車、洋服、お金、地位・名声や名誉等をすべて置き去りにして、肉体という衣を脱ぎ捨てて、「魂」だけで旅立たなくてはならないからです。

4 子育てビジョンのプランニング化
この真実をご理解していただければ、お子様の教育にあたり、教育の目的が明確になり、将来大成したお子様をイメージアップすることができます。
そうすれば、長期的展望に立った目標、中間的な目標、そして当面の目標が明確になり、日々何をなすべきか具体的なタスクが明確になってくるのです。そして、自ずと乳幼児の早期教育でなすべき事が明確になって参ります。つまり、だれが、何を、いつ、どこで、どうやって行うかの1H5Wが明らかにされるのです。

  前章でご紹介させて頂いたように乳幼児期は、脳が昼夜を問わず急激に発達する段階で、お子様の人生の土台を形成するとても重要な時期です。
この時期は、親は、若くて人生経験や情報も乏しく、何が真実で何が偽りなのか見極められずにどうしても暗中模索して悩んでしまうものです。特に、お母さん一人で、子育てを抱え込むことはストレスも大きく心身共に限界がありますし、また、十分に手を掛けることは難しいと思います。
従いまして、お母さん一人で子育てするのではなく、活用できる資源(人、もの、財、サービス)を組織化(適材適所で組み合わせる)して、やるべきタスク(仕事)を明らかにして、これをタイムラインに落としこんで計画化することが大切です。
そして、この計画を周到に準備して実行に移していきます。
そして、結節時にその成果を評価・分析して、問題点や教訓が明らかになれば対策を講じて計画を修正していきます。そして、また、準備~実行していくという具合に、子育てのサイクルを日常化すること、つまり「習慣化する」ことが大切なのです。
ご両親等保護者が漠然とした曖昧な考えのままでは、子育ての意欲も乏しく、的を射た協力も得られず、力が一点に志向せずに分散するため曖昧な結果しか出ません。
明確な目的と、長期的展望(見通し)に立った、具体的な目標を確立してプランニング化することで、目標に組織化された総合力が集中発揮されますので、イメージしたことが必ず結果として現実化致します。
先ずは、胎教の段階で、育児に関する本を読み、ご家族や恩師・友人等の意見を聞きながら、どのような人間に育てたいのかを瞑想しながらイメージアップし、そして、じっくりとお子様の子育てのプランを作成していただきたいと思います。



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