KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 | 日記 | 8 大愛とは

ソニー創業者:井深大氏曰く、教育は「幼稚園では遅すぎる」

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

8 大愛とは

2011.08.04

1 The Man Who Planted Trees(木を植える男)
およそ40年ほど前、私は旅行者にはまったく知られていない高地に長い旅をしていた。
私はアルプスを越えてフランスの一地方であるブロバンスヘと下って歩いていた。
その当時、この地方はただの不毛の地にすぎなかった。野生のラベンダー以外は何も生えていなかった。
3日間歩いた後、私は自分がひどく喉が乾いて、さびれた荒地のまん中にいるのがわかった。私はずっと昔に村があったところでキャンプをした。私は前の日に水を切らしてしまっていて、いくらかの水を探さなければならなかった。
群れをなして集まっている家々は、廃墟となってはいても、かつてはそこに泉か井戸があったに違いないことを物語っていた。確かに泉があったが、それは涸れていた。全ての生命は消えさっていた。
私はキャンブを移さなければならなかった。 5時間ほど歩いた後も、私はまだ水を見つけられず、また、見つけられそうな希望を与えてくれるようなものは何もなかった。私のまわりのすべては一様に乾ききっていた。
その時、私には遠くに小さな黒い影が見え、それは直立していたが、私はそれをぽつんと立っている木の幹だと思った。とにかく、私はそれに向かって歩き始めた。
それは羊飼いであった。焼けつくような大地の上で、30頭の羊が彼のまわりに寝そべっていた。   彼は私に自分の水筒から水を一杯くれた。
そして少し経ってから、平地のくぼみにある自分の家へ私を連れていってくれた。
彼は自分の水を非常に深い天然の井戸から汲み上げていた。その男はほとんど口をきかなかった。これはひとりで暮らしている人間にはよくあることだが、私は彼が自信を抱いているのを感じた。 彼の家は、掘建て小屋ではなく、彼が自分自身で建てたというはっきりとした形跡を残している石造りのしっかりした家に住んでいた。住まいは片づいていて、皿は洗われ、床は掃除されていた。スープが釜火で煮えていた。
そのとき私は、彼がきれいに髭を剃り、衣類が念入りに繕われていることに気づいた。彼は自分のスープを私に分けてくれた。 この男といると不思議とやすらぎを感じた。翌日、私は自分がもう1日そこで休息していいかどうか尋ねた。彼はそれを全く当然のことだと考えていた。あるいはもっと厳密に言えば、彼はどんなことにも驚かないだろうという印象を私に与えた。
そして、彼は、もし私に特に何かすることがなければ、一緒に行かないかと私を誘ってくれた。私は彼の後について、数百メートルほど離れた尾根の頂上に登って行った。  

そこで彼は鉄の棒を大地に突き刺し始め、穴を作ってその中にどんぐりを埋め込んだ。
それから彼は再びその穴を埋めた。彼はオークの木を植えていた。
私は彼にその土地は彼のものなのかどうか尋ねた。
彼は違うと答えた。
また、それが誰の土地なのか知っているのか?とも尋ねた。
しかし、彼は知らなかった。
彼はそれが誰のものなのか見つけ出すことには関心がなかった。
彼は100個のどんぐりを、この上なく丹念に植えていった。 昼食後、彼はまた植え込みを始めた。
私が何度も彼にたずねたので、彼はついに答えた。
3年の間、彼はこの荒れ地に木を植え続けてきた。彼は10万個を植えていた。その10万個のうち、2万個が発芽した。1万本のオークの木が残って、それ以前は何も育っていなかったところに育っていくのだった。  
私はこの男の年齢について考え始めた。彼は50歳を越えているように見えた。
55歳だと彼は私に教えてくれた。彼の名前はエルゼアール・プッフィエだった。
彼はかつて低地に農場を持っていた。そこで彼は平和に暮らしていたが、ひとり息子を失い、それから妻も亡くしてしまった。彼はここへひとりで移ってきて、羊や犬と一糖に暮らし始めたのだった。ここの土地は木がないので涸れかけているというのが彼の意見だった。彼は、特に差し迫った自らの仕事がなかったので、自分はこのような事態を改善することを決意したのだと付け加えた。かれの目は澄んだ優しさを湛えていた。一人で暮らしているが、彼には、不安や怖れといえるものを微塵も感じなかった。平穏だった。

そのころの私は、若かったが、孤独で、自分の将来にはっきりしたビジョンがなく漠然とした不安に怯え疲れていた。しかし、彼に接する内に、心が癒され、何かしらの霞が晴れ始めているのを感じていた。そして、私は自分自身の将来を真剣に考えざるを得なかった。
私は彼に30年後には1万本のオークの木は素晴らしいものになるだろうと話した。彼はごくあっさりと、もし神が自分に生命を与えてくれたら30年後には、自分はさらにもっと多くの木を植えているだろうから、これらの1万本は大海の中の水のしずくのようなものになるだろうと答えた。翌日、私たちは別れた。  

次の年の1914年に始まった戦争は、2度にわたり世界中を巻き込む戦争となり、その荒波の中で人々は翻弄された。私も、徴兵され戦場で過ごさなければならなかった。その間、一兵士が木を思い起こす時間はほとんどなかった。 戦争が終わって、私は新鮮な空気を吸い込みたいという非常に強い願望を抱いた。それだけの目的で、私は再びあの不毛の土地へ向かった。1945年6月、私はもう一度あの「荒れ地」、すなわち私の青春の風景であるベルゴンを訪れようと決めた。
私は荒れ地を抜ける道を再びたどり始めた。
ところが今では、戦争がこの地方に残した混乱状態にもかかわらず、デュランス・バレーとこの山地との間を走っているバスがあった。
私には、その道は私を新しい土地で連れ回しているように思われた。
私はベルゴンでバスを降りた。

すべてが変わっていた。

空気さえも、かつて私の顔に吹きつけていた冷たく乾いた風の代わりに、穏やかな微風が吹いていた。
水の流れるような音が山々から伝わってきた。でもそれは森の中の風だったのだ。
何よりも驚いたことには、水たまりに流れ落ちる本当の水の音が聞こえてきたのだ。
水汲み場が造られ、誰かがそのそばに菩提樹を植えたのが分かった。
その菩提樹はすでに葉を一杯につけ、生命が蘇る象徴であった。
そのうえベルゴンでは人々が働いていた。
それは、この地に希望が漲っていることを何よりもはっきりと物語る証だった。
そう、ここには、希望が戻っていたのだ。廃嘘は片づけられていた。
新しい家々は、真新しくしっくいが塗られ、周囲の庭には野菜や色とりどりの花が豊富に育っていた。 私が1913年に見た廃嘘の跡には、今ではこぎれいな農家が建っており、しっくいがきれいに塗られていて、幸せで心地よい生活を物語っている。
道路を歩くと、笑顔に満ち、生き生きとした男女や少年少女に出会う。昔からの住民も数えれば、1万人以上の人々が幸せな暮らしをこの緑豊かな大地に築いている。
ここは、昔、廃墟で誰一人住んでいなかった荒地だったのだ。エルゼアール・プッフィエを除いては... 

彼らは、果たして知っているのだろうか?後世に託した彼の志と行いを。

2 青雲の志と大きな愛
大愛とは、エルゼアール・プッフィエのような志や仁(天理への忠誠心と恕の精神)を指すのではないかと考えております。何も能力があり財力や地位が高い人ほど、大きな愛や影響力があり、大偉業を成し遂げるとは限りません。そもそも、大偉業とは何でしょうか?例え、貧しく、能力や地位や身分が低くても、青雲の如き志や祈り、そして大愛は天に通じ、本物の偉業を成し遂げることができるものだと考えております。

いったい、何故、戦争はおきるのでしょうか? 何故、人は他人と争うのでしょうか?
他人への愛情より、常に自己のみを優先する自己愛だけの世の中だったらどうなるのでしょうか?
他家族への愛情より、常に自分の家族のみを優先する家族愛だけの世の中だったらどうなるのでしょうか?
常にある特定の人種・民族だけを優先し他を差別したり侮蔑するような民族愛で支配された民族は、他の人種・民族からの尊敬や信頼を得ることができるでしょうか?
常に自己の所属する宗教や思想信条のみを信奉し、他の宗教や思想信条を差別したり迫害するやり方を、他者は敬愛の情を持って接してくれるでしょうか?
自国の国益だけを常に最優先させて貪欲に国益を追求する様なやり方を、他国は信頼して友好的な態度をとってくれるのでしょうか?

これらの自己愛、家族愛、民族愛及び自国愛等が極端に走った場合や暴力を許容するような過激な場合は、争いや戦争を生みます。
仏教では、自己の所属する組織を排他的に偏愛する愛を小乗愛と呼び悪であると教えているそうです。
これとは逆に、全地球的な平和と幸せを希求する愛を大乗愛と呼びこれを善の愛と教えているのだそうです。
小乗愛は、人の心に憎しみと嫌悪感を生み、敵愾心が膨らみ、やがて、争いを生み、戦争を生みます。
ですから、どうしても大乗愛(大愛)でなければならないのです。
欲張ると、どうしても周りにしわ寄せがいきます。しわを寄せられた人は、不快感を感じ軋轢が生じるものです。欲張らずに、調和すること大切です。
自己愛、家族愛、民族愛、自国愛そのものは、とても大切なものです。ただ、周りとのバランス感覚、つまり「中道」が必要不可欠なのです。

他人と調和する自己愛、他家族と調和する家族愛、隣の地域と調和する郷土愛、他の人種・民族と調和する民族愛、他の国々と調和する祖国愛が本物の「愛」なのです。
「大愛」とは、譲り合って、許し合って調和することでもあるのです。
この大自然や宇宙は、生者必滅を繰り返し変化しながら、常に調和し進歩向上しようとする大きな流れがあるそうです。これは、目に見えない人智の想像を遙かに超えた偉大な力であるサムシンググレイトの働きによるものだといいます。
哲学者や宗教家だけでなく、遺伝子等生命科学、医療、物理学等の最先端の科学者達は、研究を突き詰めていくと、人間の力ではどうしようもないとてつもない大きな力の存在に気づくのだそうです。そして、この大きな力の流れに反すると調和を乱し上手くいくことはないそうです。
 このサムシンググレイトの進歩向上し調和する力が、大乗愛(大愛)なのだと思います。

従って、志、祈りや願いは、この大乗愛に立脚しなければならないのです。
スポットライトを浴びるスターにならなくてもいいのです。みんなが、医者、弁護士、政治家、社長さんになれなくてもよいのです。
今、この地球上で、調和を乱し自然環境を破壊している張本人は人類です。
その破壊された自然環境を、一人で変えようと自分の人生を捧げた生き方を天(サムシンググレイト)は、どう思っていたのでしょうか?
天は、彼の心を至福の喜びで満たしていたのです。
たとえ、世間の注目を浴びなくても、エルゼアール・プッフィエのように、人知れずひっそりと美しく、世界にたった一輪の花を咲かすことができれば何と素晴らしいことではないでしょうか。
誰にも見られず、誰にも評価されずとも、それは何ら問題ではないはずです。
彼の志は、彼の愛は、ベルゴンの青空に届くほどに高い、正に天下第一等の志と大愛と申して過言ではないでしょう。
大乗愛(大愛)に立脚した志を立て、日々努力精進して、淡々と行動することができれば、怖いものはなくなり、心に平安が訪れて、自信に漲る幸福な人生が送れることを教えてくれております。そして、何よりも、平和で情愛に満ち溢れた社会を作ることに、自分自身を役だたせることができるのです。
前稿で紹介させて頂きました「大愛の祈りで育てる」際のご両親等保護者の皆さまの心の持ち様は、「我が子だけが…」ではなく、「我が子が世の中のお役に立てる立派な人間となるように祈りながらも、学校やご家庭や地域の方々と助け合いながら一緒になって地域の子ども達みんなを共に育てさせて戴く」というスタンスが大切なのだと思料致しております。

3 大乗愛に立脚した公文理念
本物の人間とは、一流の人間とは、財力や地位や身分に拘泥せず、愼獨(しんどく)の生活をおくりながらも、青雲の志と大愛を持ってこれを淡々と実践するエルゼアール・プッフィエのような人間を指すのではないでしょうか。

そして、幼児英才教育を土台としたエリート教育を通じて育てるべき人材のイメージは、こうした資質に加えて、人を魅了する人格・識見とリーダーシップ力を兼ね備えた、郷土薩摩が誇る、西郷隆盛や島津義弘侯のような人間像です。
(但し、エリート教育は、本来、欧米諸国のようなボーディングスクールや飛び級制度を含めた国策として位置づけられるべきものだと思料致しております。)

特に、南洲翁遺訓にある「敬天愛人」とは、そうした保護者の愛が、大乗愛(大愛)であれば、天に通じて幸運の女神が微笑み、お子様を世の中のお役に立てる立派な人間となし、幸せな人生を送れることを教えてくれています。
また、「人爵(じんしゃく)求めず、天爵(てんしゃく)求めよ」では、「人の評価を求めてはならない。天に対して至誠無私の信念を貫き通して生きなさい。」と教えてくれています。

 公文の理念は、「我々は個々の人間に与えられている可能性を発見し、その能力を最大限に伸ばすことにより、健全にして有能な人材の育成をはかり、地球社会に貢献する。」です。
日本だけでなく全世界の子供達の健全育成を柱に据える公文理念は、正に大乗愛に立脚したものであり、私達が誇りとするものです。
私達の教育に対する強い使命感と情熱の源泉は、公文理念がもたらす大愛の精神に宿っているのです。

エルゼアール・プッフィエは、青々と茂るベルゴンの森を今も満悦そうに眺めていることでしょう...天国から。そうなのです、天は彼の行いをしっかりと見ていましたから。

*① The Man Who Planted Trees(木を植える男)は、公文式英語教材の和訳です。
② 愼獨
中国古典「大学」に、「君子は、必ず其の獨(ひとり)を愼(つつし)むなり」とありますが、本物の立派な人間とは、自分が独りでいるとき、つまり他人が見ていない時でも己をしっかりと律して天に恥じない言動をとることができるという意味です。

8 大愛とは

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