KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 | 日記 | 23 何故、徳育を柱に据えると人生の成功者になれるのでしょうか(その4)


2012/08/12
23 何故、徳育を柱に据えると人生の成功者になれるのでしょうか(その4)


1 今の子供たちに何が起きているのか
6月のブログ「平成23年度鹿児島県基礎学力調査における霧島市の結果に感じたこと」の中で、公立中学校が授業を削ってまでも部活を重視している実態が学力低下の一因ではないかしらと記載させて頂きましたが、学校が何故そうせざるを得ないのか...もっと深刻な問題が潜んでいるのではと推測しています。

それは、日本の伝統的な家庭教育力及び地域社会教育力の劣化です。
(本稿では、家庭教育に焦点を当てています。)

平成22年度に、精神疾患で退職した教師は940名、休職者は5458名にも上っています。
なぜ教職に就く人たちはそこまで追い込まれているのでしょうか。
私の知人のある教員は、20年間、真面目に一生懸命教職に携わったのですが、ある限界を感じ退職し幼児教育に力を注ぐために私立幼稚園を開設し、教育の骨幹に「論語の素読」を据えております。
今、教育現場では新型の学級崩壊が全国的に広まっているそうです。学校の教育現場の荒廃に歯止めがかからないのです。
 小学校は、子供たちの私語や立ち歩きで授業が成り立たないケースが増えています。
最近では軽度の発達障害に似た児童が急激に増えクラスの1割以上に達すると云われ、教師の指示や指導にも従わないため、そうした子供の躾けに時間を取られ授業が計画通りにできないと云います。(注釈1)
保護者の授業参観日であっても、こうした子供達は、周りの雰囲気や状況が察知できず、じっと座っておれずにおしゃべりをして歩き回るため、驚いた保護者が教師の指導力不足に怒って詰め寄る場面もあるそうです。
大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)がいじめが原因で自殺し、警察が学校や家宅捜査に入る異常な事態になっていますが、小中高生の自殺は年間300件にのぼります。少子化にもかかわらず、その増加傾向に歯止めがかからないようです。大なり小なりとも、人間関係のトラブルやいじめが絡んでいるケースが多いようです。また、校内暴力は、器物破損や生徒間だけでなく教師に対しても頻発しています。
また、警察庁が発表した統計データーによると、子供たちによる万引きや自転車の盗難が増加しており、子供たちの善悪の判断に狂いが生じている実態が浮き彫りになっています。
平成21年の子供の万引きは1年間で15万件、被害総額は4615億円で、万引きが主たる原因で閉店に追い込まれた書店等が1000軒にのぼっているそうです。
「万引きは犯罪の入り口」と言われていますが、こうした万引きを行う子供達の再犯率は高く、これを放置しておくと、犯罪の泥沼に沈み込み、心身を蝕み悪質な犯罪や金銭目当ての性的行為にエスカレートしていくそうです。
児童虐待や育児放棄等資質的に劣悪な家庭環境下で基本的な躾けが行われず、この豊かな社会で、ちょっとぐらい万引きしてもいいのではないかしらという親の規範意識の低下が再犯率の上昇に拍車を掛けていると指摘しています。

知人の教師が云っていましたが、「家(うち)の子供がたばこを隠れて吸っているが、一体学校ではどうした躾をやっているんだ!」とか、「子供を産むのは母親、育てるのは学校の役割でしょう!」とか、高級車に乗る給食費を滞納する保護者に催促したところ逆切れされたとか...いった類のお門違いな苦情やクレームが増えてきていると… (注釈2)
2007年ユニセフのイノチェンティ研究所が全世界の15歳の少年少女を対象に行った「子供の幸福度調査」によると、「孤独を感じる」と回答したのが最も多かったのが日本で30%、2位以下はいずれも10%未満でした。つまり、日本人の子供達だけが極端に孤独を感じているのです。

2 教育の道は 家庭の教えで芽吹き、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実が成る

幕末~明治期、日本を訪れた外国人が、日本人の礼儀正しさや高邁な品性に驚きました。長年の鎖国政策で、世界から取り残された後進国日本が、開国するや否や、日清・日露戦争で大国に勝利し欧米諸国に肩を並べる驚異的な発展はとげました。
これを注視していた外国は、その理由を、日本の伝統的な家庭教育でしっかりとした躾が行われ、藩校や寺小屋で読み書き計算の教育、特に四書五経の素読により、勤勉実直な国民性が広く庶民にまで浸透していたことが非常に大きな役割を演じていると看破しています。
いったい日本の伝統的な家庭教育はどこに行ってしまったのでしょうか?

戦前は、2世帯、3世帯家族は一般的で、子育ては、親だけでなく祖父母や兄弟・親戚やご近所みんなで行われていました。そうした中で躾が行われ、日本の伝統的な礼儀、道徳心、美徳や文化・風習が受け継がれていったのです。
しかし、戦後、占領政策により、戦前の学校教育がことごとく否定され、家庭にも欧米的な子育てが導入されました。そして、戦後の急激な高度経済成長下で核家族化が進み、日本の伝統的な子育てがどんどん揺らぎ始めたのです。
当時の厚生省が配布した「母子健康手帳副読本」は、欧米流の育児方法が優れていると紹介されています。この根拠が、「スポット博士の育児書」だそうです。
例えば、赤ちゃんが突然泣きだしても、親は構ってはいけない、泣き止むまで放っておきなさいとあります。これは、厳しい社会を生き抜けるよう甘やかしてはいけないという理屈によるものです。赤ちゃんは体外胎児と云われていますが、歩くことも話すこともできない赤ちゃんの時から厳しく躾けなさいと主張していたのです。
一方、それまでの日本の伝統的な子育ては、赤ちゃんが泣きだしたら親はしっかりと抱きしめてあやすのが当たり前でした。それを、否定して、逞しく育てるために「構うな、放っておけ」とは、一見理屈が通っているようですが、何と無責任極まりないものでしょうか。
それが、母子手帳とともに、全国の母親に配られたのですから悲惨極まりありません。

この他にも、牛乳の消費拡大を狙った、母乳より合成ミルクを哺乳瓶で飲ませるキャンペーン、おんぶ抱っこより乳母車を、添い寝より育児ベッドをと、「育児の軽減」をうたい文句にした商業宣伝にのせられ何の疑いもなく育児に使用しています。しかも、授乳中は、テレビやDVDを見ながらの「ながら授乳」が増えているそうです。
 しかし、何気ないこうしたことが、親子の本能的な絆を紡ぐ上で大きなリスクのあることが指摘されています。日記「1 脳科学からみた幼児教育の現状」を御参照下さい。 幼少時に、家庭で、親のスキンシップによる無償愛の伝達により親子間の信頼関係がしっかりと培われていることが非常に大切です。
躾の前提として、母親の母性的な慈愛に基づく愛着形成が必要不可欠なのです。
この愛着形成でも、特に、胎児~3歳の間は、無意識の深層心理として本能的な母性愛と親孝行の無償愛が形成される極めて大切な時期です。
この間は、母親は、仕事や家事等に多忙であっても、全てに最優先して育児に本腰で取り組んで頂きたいものです。
(但し、一人で抱え込まず、パートナー、祖父母や第三者機関等のサポートを受けて孤立しないことが大切です。)
その前提があってこそ、父親の父性的な義愛による躾が功を奏するのです。
つまり、薩摩では、「負けるな(克己)」、「嘘を言うな(誠)」、「弱いものをいじめるな(仁愛)」を叩きこみます。これに何か理屈を云うものなら「ギ(屁理屈)を言うな」、「ならぬものはならぬ」だったのです。しかし、これが通じるのも、親子間のしっかりした信頼関係が構築されていたからであり、学校に入学する前に基本的な躾は、すでに伝統的な家庭教育により出来上がっていたのです。
発達心理学や脳科学の見地から、日記3「 何故、幼児英才教育ほど、しっかりとした情操教育が大切なのでしょうか」~5「感情を掌る脳幹」でもご紹介させて頂きましたが、こうした「弱いものをいじめるな、卑怯な振る舞いを恥じ不正をせずに正しく生きろ、自分の怠け心や邪悪な誘惑に負けるな」といった正義感や羞恥心や罪悪感、そして、悲しみや喜びをともに分かち合う共感といった感性は、大きくなってから理屈で云っても育ちようがありません。
感性とは理屈ではありません。
感性は、良くも悪くも、右脳が優位な状態にある幼児期に確立されます。従いまして、良質な善の感性は、幼児期に、本物に、できれば超一流の環境や人物に全感覚で触れさせるようにすべきものなのです。 
教育の道は、先ず、家庭教育という畑で、善の感性が芽を出し根を張ります。そして、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実が成ります。
従いまして、良い花を咲かせて良い実を結実させるためには、家庭という畑が、農薬や化学肥料に侵されていない良質な土壌になっていなければなりません。

3 躾とは、本来家庭教育で培われるべきもの
子供が、思春期に入る中学生時代は、身長が伸び、自我に目覚め、大人の言っていることとやっていることの二面性(裏腹)や矛盾に気付き、不信感から反抗的な気持ちが沸き起こります。束縛されずに自由でいたい、干渉されたくない、自立したい、しかし、経済的にも社会的にも実力不足で巣立ちできないので親や学校の庇護下に留まざるをえない... このように、管理された中で窮屈さと思うようにできないジレンマを抱え情緒的に非常に不安定な時期です。
 こうした時期に、本来家庭で培われていなければならないはずの基本的な躾ができていない一部の生徒を何の対策も講じないまま放置していると、陰湿ないじめや暴力が蔓延り、秩序正しい団体生活を台無しにしてしまい、終には学校崩壊に至ります。
*【サービスメニュー「才能拡散の法則と異年齢集団教育(環境が人を創り人が環境を創る)」をご参照ください。】
従いまして、学校の教職員は、毅然とした態度を持って、そうした芽を早い段階で摘み取らねばなりませんが、子供に染みついた感性、個癖や習慣に関わることであり、親の意識を変え、家庭の環境を変える必要性があるため、なかなか思うようにいきません。
そのストレスは非常に大きいものがあります。
このように子供達が精神的に揺れ動く特性を持つ中学校では、本来家庭で行なわれるべき基本的な躾、礼節や規律心を、部活の先輩後輩の縦の関係の中で、理論と体得で教え込ませなければならない如何ともし難い現状があるようです。
テレビ、パソコン、携帯電話及びゲーム等のスクリーン世代は、コミュニケーション力が低く対人関係が苦手でストレスに弱いという特性があり、また、自分の殻に閉じこもりやすい傾向にあります。組織の中で、ルールを守りながら、我を押さえ、お互いに助け合い協調し合うことの大切さを、クラブ活動のチームプレーを通して培っていかなければ、授業や課外活動そのものが、秩序正しく行うことを損ないかねない危機感があるようです。

特に、躾、礼節、規範意識等が低調な子供の場合は、大人が理屈で説明しても、冷めた目で懐疑的に捉え素直に従おうとはしません。それよりも、先輩、後輩及び友人といった異年齢集団の中で、相互に切磋琢磨させながら躾やルールを体得させた方がより効率的で効果的なのです。
例えば、剣道部であれ柔道部であれ、道場は稽古する前に徹底的に掃除をします。しかし、新入部員が掃除をして綺麗にすると気持ち良いという感性が育っていない場合、意図的に左脳に働きかけて、掃除の大切さを理屈で説明して理解させ、整理整頓や掃除の仕方を具体的に教え、まず先輩がやって見せなければなりません。そして、これを後輩にやらせてみて叱咤激励します。更に、、これを継続的に反復して習慣化を図るのです。
感性として、整理整頓や掃除が嫌いなので、先輩によるリーダーシップ、強制力と粘り強く付き合う根気が必要で、大変な労力と時間がかかります。とても、教師一人が個別に対応できるしろものではありません。

蛇足になりますが、私の海外体験からも、日本と欧米の中・高校生を比較すると、日本の子供達は精神的に幼い感じが致します。
私が滞在した英国では、義務教育終了後、中等教育(日本の高校相当)に進学する割合は約70%です。
一方、日本では95%で韓国の99%に次ぎ世界第2位の進学率です。授業料も無償化するなど、ほぼ義務教育のような感があります。この是非は別として、英国では、中等教育に進学しない様々な理由、例えば、学力不足とか、経済的困窮などもありますが、それよりも、手に職をつけたいという趣旨で実社会で働くことを自ら選択することが珍しくありません。職人技で生きる世界では、頭や手先の柔らかい10代は、技(わざ)を修得するには絶好の時期なので、率先してその世界に進む子供が多く存在し、また、社会もそれを歓迎し評価しています。このため、技術や資格習得のための専門学校や職業訓練校が充実しています。一方、日本と違い、英国では、中等教育に進む生徒は、その殆どが明確な将来の職業像を念頭に描いて大学進学を目指します。
つまり、義務教育終了時点で、事実上、職業選択を迫られる人生の岐路に立たされるのです。
学歴主義ではなく、徹底した能力主義、実力主義が貫かれている社会風土が背景にあるのです。このため、自ずと、義務教育の最終学府(日本の中学校相当)における子供達には緊張感が漂い、日本と比べ遥かに自立しており大人びた感があります。
 戦後の日本においても、昭和30~40年代初頭、つまり、団塊の世代が、中学生当時は、中学卒業後、地方から東京や大阪等の大都市圏へ、夜行列車で集団就職する風景があちらこちらで見受けられました。こうした若い戦力が、日本の物つくりの技を深化発展させ、戦後の復興と高度経済成長を支える大きな原動力となったわけですが、やはり、当時の中学生には社会人となる自覚と覚悟があり、学校だけでなく家庭や地域社会にも自ずと緊張感が漂っておりました。
因みに、OECD学力到達度調査(OECDでは世界の15歳児童を対象に学力を把握するために3年ごとに行なう読解力、数学及び科学の試験による調査)の上位3か国の中等教育進学率では、韓国99%、シンガポール40%、フィンランド57%です。(但し、専門学校や職業訓練校を含めると9割を超えます。)

4 幼児期に原理原則を染み込ませる
学校では、各種行事の準備・練習・実施、各種報告・連絡等の事務処理、採点・記録、資料・教材・問題作成、印刷・製本、資質的に問題のある子供や学習意欲の乏しい子ども達の生徒指導やモンスターペアレントと云われる保護者への対応及び部活指導等に追われて、本来の授業の準備に十分な時間を割けなかったり、規定の課目時間数を消化できなかったりと、教育計画予定表通りに授業を進めることが困難であると伺っています。 
冒頭で紹介した私立幼稚園を開園した元教員は、幼少期に感性が育っていない子供達にいくら働きかけても、それは笊(ざる)と同じで、注ぎ込んだエネルギーは全て流れ去ってしまい徒労に終わり空しいことこの上ない。であれば、もっと早い段階で、つまり、感性を育てる幼児期に保護者を巻き込んで教育をした方がはるかに効果的だとの思いに至ったそうです。
*映画「大地の詩」をご覧なられることをお勧めいたします。 (注釈3)

そして、その幼児教育の基本を保護者を巻き込んだ徳育においているそうで、その教育技法の柱に据えているのが今から2500年前の中国古典、孔子の論語の素読なのです。
私も、安岡定子女史(陽明学者安岡正篤師の令孫)の「こども論語塾」に度々研修させて頂いておりますが、そこの子供たちの礼儀正しさ、真剣さ、集中力には驚きを隠せません。
約1時間、私語や徘徊する子供は誰一人おらず、先生の一言一句に真剣に耳を傾けています。
特に、感動したのは、論語の素読を行う間、子供達は正座ですが、その後ろに保護者様も正座して同様に素読を行っているのです。 論語とは、「人は如何に生きるべきか」が全編を通じるテーマであり、正に生きる原理原則が述べられています。 (注釈4)

これを、幼少の頃から、素読により心身に染み込ませるとどうなるのでしょうか。
原理原則が体に染み込むと、今のあるがままの自分を愛することができて幸福感に包まれます。そして、心が愛と感謝で満たされます。
するとその幸福感が、知命(自己に与えられた天命を知るということ)に至り、その夢や志が具体的な目標を生み、其れに向かって惜しみない努力を積み重ねさせます。苦労を伴う障壁等の試練を有難いと思えて笑みが浮かんで参ります。そして、その試練を一つ一つ丁寧にクリアーしていく中で、充実感・達成感、そして感動が生まれ、少しづつ、しかし着実に、成功を引き寄せるのです。
そして、こうした過程を経るうちに、自己の人間性を高め、自己の内なる魂を光輝かせることができるのです。
今回のロンドンオリンピックでメダルを獲得した選手の家庭教育における親の係わり方、恩師や監督の考え方を調べていくと、原則的な信念が貫かれ、これに基づく上記プロセスが見えて参ります。
次項では、個々のメダリストに、「徳育」というフィルターで焦点を当てながら考察して参ります。

*注釈
1 「軽度の発達障害に似た児童」とは
生物学的要因による発達障害とは、先天的な要因、疾患及び外傷等の後遺症によって主に乳幼児期にその特性が現れ始める発達遅延であり高機能自閉症、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などの総称で、一般的に知的障害は無いか、あっても軽度です。
本稿でいう「軽度の発達障害に似た児童」とは、機能不全家族で育った児童が発達障害児と同様の行動パターン(意図的ではない無意識下の行動)を見せる事が知られています。
機能不全家族とは、家庭崩壊とも言われていますが、保護者のアルコール中毒、ギャンブル依存症、ゲーム依存症、薬物中毒、借金及び不倫等が原因で、家庭内に、憎悪感情や怒り、或いは、無関心・無気力・無責任な感情が支配的で、対立や不法行為、身体的・性的虐待、ネグレクト(養育放棄)等が存在する家庭を指します。
こうした家庭環境下で育った子供は、機能不全な環境や考え方が一般的であると認識して成長しやすく、また幼少期の重要な人格形成において愛情を得る機会が非常に乏しくなり、自己愛、自尊心、他者への共感、他者の苦しみに対する理解等に欠けた人間に成り易いことが分かっています。この結果、他者と健全な関係を築くことができない子供が、非行に走りやすく、学校での学級崩壊やいじめに絡むことが多く、登校拒否、自傷行為や自殺等に発展する場合もあります。また、社会人になっても生きる力が弱いため、退職・転職を繰り返し、自活できずに闇の世界や路上生活或いは生活保護に陥るケースが多いと云われています。
一方、幼少時の行動パターンが似通っているといっても、愛情溢れる健全な家庭に育った発達障害児童は、素直で真面目であるという一般的特性が見られ、資質的に周囲に善良なる影響を及ぼすことが多く、継続的な教育により晩期に大成することが珍しくありません。

2 2006年文科省による給食費滞納実態調査
給食を実施している公立小中学校の2005年度の未納総額は22憶3863万円で給食費全体の0.5%にあたり、児童生徒数の1%に当たる98993人にのぼります。この内、保護者の経済的困窮で支払えないケースが33%、保護者の責任感や規範意識に問題があるケースが60%、その他7%となっており、滞納率は、増加傾向にあります。

3 大地の詩
実話に基づく映画です。

留岡幸助(とめおかこうすけ)
(1864~1934)明治・大正・昭和初期の社会事業家。

岡山県高梁市出身。同志社大学卒業。京都丹波第一教会の牧師を経験後、北海道空知集治監に就任。監獄を改革しようと、3 年に渡って囚徒の過去を調査する。そして、犯罪の芽は幼少期に発することを知り、幼い頃の家庭教育の大切さに気づiいた。監獄改良よりも根本的な対策を講ずる方向へ方針転換し、自ら「家庭学校」を設立・運営しながら家庭教育の重要性を訴え続け少年感化事業に生涯を捧げた。
 【お問い合わせ】  ㈱現代ぷろだくしょん  TEL:03-5332-3991 

4 こども論語塾
幼児さん達は、素読(そどく)する論語の意味は分かっていません。が、直感でその素晴らしさを感じ取っています。それは、論語の韻やリズム・テンポが心地よく楽しいのです。
論語の言霊の波動と先生や保護者の発する善の波動が、良質なる感性を育んでいるものと思われます。
幼児さんには、理論的に説明して理解させようにも理解できませんし、その必要もありません。
善の感性、大愛の感性を、只々、心で祈り念ずればよいのです。
ただし、唯一の問題点は、継続性が途切れることだそうです。幼稚園を卒業すると小中学校では行なわれていないからです。ユダヤ民族は、旧約聖書やタルムードの学習を胎児から生涯を通じて行なうため偉人を多く輩出しています。
日本にも、タルムードに優るとも劣らない埋もれた古典が数多くあります。
地域社会教育力に関しては、今回のテーマではないので触れてはいませんが、学校で取り扱って頂けないのであれば、せめて、草の根の活動として、幕末・明治期の寺小屋のような地域教育機関を有志で創り、般若心経のような仏教経典の他、四書五経、薩摩の南洲翁遺訓、長州の吉田松陰語録、美濃国(みののくに)佐藤一斎の言志四録等を素読により学ばせて日本人の伝統的な資質や美徳を復活することができないものかしらと思料致しております。
(細部は、ブログ14「本物の読み書き計算を目指して」を御参照下さい。)

こどもの論語の素読をおこなっている幼稚園や保育園は霧島市にはないようです。
公文式とは、全く関係ありませんが、ご関心のある幼稚園や保育園には、情報提供等をさせて頂きます。 

> 日記の一覧に戻る


[0]店舗TOP
ペ-ジの一番上へ戻る

街のお店情報
PCサイト

[PR]
i.n.g
渡邉賢一ギター教室(WatanabeGuitarSchool)
きもの やまなか
ハローストレージ金町パート1
マノーラ タイ古式マッサージ