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ソニー創業者:井深大氏曰く、教育は「幼稚園では遅すぎる」

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KUMON 隼人駅前公文式教室 鹿児島県霧島市 【幼児からの英才教育】 の日記

3 何故、幼児英才教育ほど、しっかりとした情操教育が大切なのでしょうか

2011.06.26

1 情操教育の欠落が鳴らす警鐘 
1980年代に発覚した薬害エイズ・肝炎事件は、今も多くの人が病に苦しんでおられます。この事件に深く関与した帝京大学医学部附属病院の医師だった安部英、厚生省官僚だった松村明仁、製薬会社ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴されて実刑判決を受けました。
こうした人達は、幼少の頃から英才教育を受け、それぞれ医者、官僚及び企業家として栄達を遂げたのです。しかし、その人生の結末は、犯罪者です。それも、一過性の単なる犯罪ではありません。今日でも、多くの人の命を奪い続けており、被害者だけでなく家族を含めた多くの人々を不安に陥れ、苦しめ、悲しませております。
事件発覚後30年経った今でも、社会に及ぼす悪影響は消えていないのです。
ここで、私が申し上げたいのは、幼児英才教育で、極めて高い知能を備えることで、有名な進学校に進み、高い報酬や社会的地位の高い職業に就いたとしても、まっとうな情操、特に、善良な心が涵養されていなければ、世の中に及ぼす悪影響は、凡人に比し、計り知れないほどに大きいという事実を認識して頂きたいということです。

別な言い方をすれば、幼児英才教育とはエリート教育の土台を成し、植物の根っ子に相当します。幼児英才教育なしにエリート教育などありえません。
即ち、こうした英才教育を受けて誕生したエリート達は、政・財・官、芸術、スポーツ等それぞれの道で、将来、その分野を牽引する重要な役割担うことになります。その分野のトップ層に位置すること自体、彼らに仕える部下、同僚、先輩、知人、友人だけでなく様々な分野の利害関係者に影響力を行使できる立場に立つことをを意味しますし、マスコミの注目も浴びます。
従って、彼らエリートの考え方や言動が多くの人達に影響を及ぼすことになるわけですから、彼らの思考過程、判断及び言動の基礎となる思想信条は、相当まともでなくてはならないと思います。
それだけに、エリート教育に従事する者の責任は非常に大きいと云わざるを得ません。
また、幼児英才教育に従事する者は、単に「優秀な知能の養成」だけに止まるのではなく、健全なる精神の発育を基本とした全人教育行うべきであると考えております。
特に、次項で触れる「正義感(義)」や「大乗愛(仁)」等の資質は、下記を要点として、理屈としてでなく本能的な感性(深層心理)として脳の無意識の分野に幼少の頃から刷り込んでおく必要があるのです。
① 悪事に対する生理的な嫌悪感を植え付ける。
② 真善美溢れる教育環境をつくる
③ 善行の習慣化
④ 壁を乗り越える喜びを体得

2 警報システムが故障する
衝撃的事件であったため、記憶がお有りの方が多いと存じますが、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件、そして、2004年、長崎県佐世保市の小学校で、6年生の女子児童が同級生の女児をカッターナイフで切り付けて殺害した事件がありました。
こうした子供による残酷な犯罪が何故起きたのか色々と調べられましたが、どの犯罪にもほぼ共通するのが、幼少期の情操教育が劣悪な環境下にあったことです。 同級生を殺害した女児は、人を殺めることは悪い事だと認め「ごめんなさい」と謝ったといいます。
人が、悪事、特に残虐な行為を犯さないために、どうしても欠かせない要素があるといわれております。それは、悪いことに対する「生理的な嫌悪感」なのです。
たいていの人は、むりやり強盗や人を傷つけようとする時、罪悪感から、動悸がして、手に汗をかき、胃が締め付けられ声がうわずったりしますが、こうした反応を示さない人達がいるのだそうです。
銃乱射等青少年の凶悪犯罪が多発するアメリカで、南カリフォルニア大学の研究チームが15才の青少年の心的ストレスと犯罪及び家庭環境との相関関係を調べました。
心的ストレスを受けた場合に、15才の子供の心拍数、血糖値、脳波等の数値がどう変わるのかを調査したのですが、一部の被験者は数値が殆ど変化しなかったそうです。そしてこうした子供の追跡調査を長期間に渡り続けているのですが、24才までに犯罪を犯した確率が非常に高いことが判明しております。
そして、そうした子供の教育環境は、資質的に劣悪であり、ストレスに対する反応が鈍くなることが指摘されております。つまり、危険なことや悪いことをしようとしても神経系が警報ベルを鳴らさなくなるのだそうです。頭では、良くないことと分かっているのに、悪いことをしてしまう子供は、この警報システムが働いていないのです。
乳幼児から少年期に掛けて、家庭内暴力を身近に経験し、虐待を受け、或いは、残虐な暴力シーンを描写した映像、ゲームやアニメに常続的に触れてきた子供は、これに対する耐性ができており、逆にこれを好む性癖を有する事が判っております。所謂、サディストと云われる人達です。冒頭で触れた事件の加害者に共通する点です。彼等は、生理的に残虐行為に嫌悪感どころか興奮と快感を覚えるのだそうです。
生理的な嫌悪感というのは、理屈ではなく、また、意識するものでもありません。無意識に、本能的に吐き気がし、身震いがするほどに嫌う性根を指します。しかし、これは、「つ」が取れてからでは手遅れなのです。絶対音感と同様に、脳神経細胞シナプスの過剰形成期~緩やかに減少する4歳位までに、脳の深層分野に染みこませる必要があるのです。
前頭連合野の中に、「選択の座」と呼ばれる人間の行動の選択を掌る「八野」といわれる細胞群があります。ここはある行動を働きかける細胞とそれを抑制する細胞が混在して常にせめぎあいをしています。
乳幼児さんが、危険なこと、人を傷つけること、或いは、周りに迷惑をかけるような行動を選択して開始しようとする場合、これを抑制する指示を与えて、その通りできたら褒めてあげることが大切です。
また、乳幼児さんにとってかけがえのない人、特にお母さんやお父さんが、お子様がしてはいけないことをした時には、心から悲しみ或いは怒るという表情を表に出した方がよいのです。
何故なら、お子様は、最愛の人の行動や感性を、鏡のようにそのまま共感という働きで写し取るからです。親が、悲しみ、悩み、怒るのは、裏を返せばそれだけ深い愛情があるからで、とても尊いことだと思います。子供は、悲しみや怒りや苦悩に添えられた無償の愛を感じ取り、親を悲しませてはいけないという八野の情動細胞が活性化するのです。つまり、ご両親の生き方や考え方がお子様の「選択の座」の質を決めてしまうのです。
従いまして、脳科学的視点に立てば、お子様の基本的な躾は、ご家庭で、時期を失することなく9歳までに(反抗期の始まる思春期では手遅れです。)、ご両親等保護者の責任においてなされるべきものであり、学校の躾は、これを補完する立場にあるといえます。
「子は親の鏡」と申します。お子様が人様のお役に立てる立派な人間に成って欲しいと願うのならば、何よりも、先ずは、ご両親等保護者の方々が、お子様のお手本となるような考え方と言動を行うことが大切です。
特に、問題行動を起こすお子様をより良い方向に変えたいと願うのであれば、先ずは、保護者ご自身が変わる必要があるのです。

3 真善美溢れる教育環境をつくる
悪事に生理的な嫌悪感を植えつけながら、正義感が強く、思いやりのある愛情深い人間に育てるためには、乳幼児から少年期に掛けて、邪悪なものを排除し、真善美溢れる教育環境を整えることが大切です。
真善美とは、芸術性と品性が高く、美しくて見る人に感動を与えるような一流の音楽、スポーツ、ドラマ、絵画・書、陶芸、腐朽の名作文学、自然、花、善意なる言行、そして公明正大な心を持つ先輩・恩師等を指します。
今一度、お子様の教育環境をチェックして下さい。
特に、子供の部屋は、聖域です。
家庭内で、悪書、性的・暴力的なゲーム、漫画本やホーラーDVD等情操教育上、悪影響をあたえるものを一掃し、掃除が行き届き、整理整頓され、美しい絵画や音楽、花、観葉植物を配置してみてはいかがでしょうか。
また、インターネット等へのアクセス制限(パスワードを保護者が管理)、携帯電話の出合い系サイトへのアクセス禁止等を定期的にチェックする必要性があると存じます。
乳幼児にあまり関係なさそうに思えますが、前回紹介した才能拡散の法則を思い出して下さい。

4 善行の習慣化
「正義感(義)」や「大乗愛(仁)」等の資質陶冶上、次に有効なのが、善行を実践することです。
善事を行うことで、褒められ感謝されるという生理的な快感や楽しさを幼少時の頃から、脳の無意識野に刷り込むということです。
例えば、料理、掃除・洗濯、買い物等家事を役割分担して手伝うこと、学校の授業内容が分からないクラスメイトに教えてあげること、自治会等の清掃活動や行事のボランティア活動に参加すること等何でもよいので、人様に「ありがとう」と云っていただくような善行を幼少の頃から行うことが大切であると考えております。こうして善行を習慣化することが、悪事を嫌い、思いやりのある優しい人格形成に寄与するのです。
むろん、幼児さんに手伝って貰っても、上手くできないため返って手間暇がかかってしまうかもしれませんが、しかし、それが情操教育そのものなのです。気長に見守ってあげてください。

但し、善事を行うことは、自分のためではなく、他人のために、社会のために、自分の持つ時間、物やエネルギー等の自己資源を使うことですから、精神的、体力的及び時間的な余裕がないと長続きしません。しかし、幼児英才教育では、次の理由から余裕が生まれます。

幼児英才教育は、お子様が幼少の頃から、毎日勉強漬けになって頭でっかちになるようなイメージを抱く方がおられるかもしれませんが、実態は違います。端から見ると、それほど勉強をしていないのに、余裕綽々で成績も良くスポーツ万能なお子様に見えます。
知能が高くなるということは、学年レベルをどんどん超えてしまうだけでなく、高い集中力、習得力、見通す力と融通性を兼ね備えることになりますので、一般的なお子様が1時間かかるような学校の宿題を、数分で片付けてしまいますし、殊更、テストのための勉強をしなくても済んでしまうのです。また、複雑な事や多岐に渡る仕事を同時並行的に、或いは、状況の変化に対応して柔軟に修正しながら効率的に処理してしまいます。
当向花小前教室に在籍する公文生の中には、公文学習終了後、保護者の方が迎えに来られる迄の間に学校の宿題を終わらせてしまうお子様がいます。
つまり、学校の予習・復習、テスト勉強に掛ける時間が少なくてすむ分、遊び、読書、ご家庭でのお手伝い及びスポーツ、芸術等情操教育、並びに「善行の実践」に割く時間をより多く確保できるのです。

5 壁を乗り越える喜びを体得
平日の放課後や休日を塾や習い事のスケジュールをびっしりと入れて、お子様が息つく暇もない状況に追い込まれているケースでは、敷かれたレールの上を後ろから押されて喘ぎながら登る機関車のようでいつかどこかで止まってしまいそうです。
重ねて強調致しますが、お子様の自主自立を早期に促すことが英才教育のキーポイントなのです。
幼児からの英才教育で、時間的、精神的、エネルギー的な余裕が生まれます。そこを親が何かを企画して埋めるのではなく、お子様の好きなようにさせて頂きたいのです。
(もちろん残虐なゲーム遊び等反社会的な行為に繋がりかねないことには毅然として歯止めをかけなければなりません。)
つまり、お子様が自分で計画したことを親の干渉を受けずに自分でやってみるということを、出来るだけ早い段階から仕向けて、これを親が遠くから見守る姿勢を貫くのです。
当然、上手くいかずに失敗することや怪我をすることが沢山あると思いますが、それで良いのです。むしろ、沢山失敗して、喧嘩をして、転んで、擦りむいてあざを作って痛い思いをし、挫折感や悔しい思いをして泣くといった体験をさせた方がよいのです。
何故ならば、、そこが正に情操教育のチャンスなのだからです。
そういう痛い、苦い、辛い、悲しい体験を経てこそ、他人の痛みや苦しみを心底理解できるものですし、本物の共感、思いやりの情や謙虚な気持ちが芽生えてくるものです。また、自分の得て不得手、長所・短所、人の多様な価値観や距離感を把握し、手探りしながら自分の進むべき方向性が見えてくるものです。そして、これをやってみたいという欲求が心の底から沸き上がってくるような目標が定まり、本気度に手応えを感じたときに、親は、その環境を整えるべくお子様を信じて投資して頂きたいのです。そして、肚を据えて見守ってあげて頂きたいのです。
ここで、肚を据えてと申し上げたのは、親の真剣さです。
小さな失敗や挫折に親がオロオロしたり、いちいち干渉したりせず、子供を信頼して任せる姿勢を貫くことです。
獅子は、我が子を百獣の王として育てるために、千仞の谷に突き落として這い上がらせるという言い伝えがあります。正に、逆境は最大のチャンスなのです。
何かしら物事を成す過程において、必ずや試練が立ちはだかります。お子様が、そうした試練にぶつかり、失敗しや挫折した時、立ち止まり、何故、そうなったのかを考え、どうすれば良いのかを考えて対策を練り、そうして、それを実行すべくまた歩き始めるのです。諦めずに努力を継続すれば必ずトンネルを抜けて良い結果が生まれてくるものです。
しかし、こうした逆境を乗り越える力は、一朝一夕に培われるものではありません。
幼少の頃から、小さな壁を、努力を継続して乗り越えるという成功体験を積み重ねていく必要があるのです。
幼児さんに、興味を持たせ、お母さんと一緒に楽しくやってみて、できたら褒めるの繰り返しです。途中で飽きて、やめようとしても、お母さんと一緒にがまんして続けてみましょう。そして、がまんしたその事実を、褒めてあげましょう。
こうするうちに、がまんして努力を継続すること自体に喜びを感じるようになってくるのです。
不思議なことに、壁や逆境を前にして、ワクワクして期待し、俄然やる気が漲り、「ヨオッシャー、かかってこい!!」と嬉々として迎え撃つといった感性が備わってくるのです。
こうした逆境を楽しむ感性は、その道の一流の人達に共通してみられるものです。

*薬害エイズ・肝炎事件
1980年代前半、輸入品の非加熱血液製剤(血液の中から止血作用がある成分を抽出してつくった薬)にエイズと肝炎のウイルスが混入していたため、血友病患者や手術等で投与された人に感染が拡大。当初から危険性を指摘する声があったにもかかわらず投与が続けられ、エイズ感染者約1,800人、死亡者500人超の惨事に発展し、また、C型肝炎ウイルス感染者は約1万人以上に達した。今も尚多くの人が病に苦しみながら亡くなっている。医(元帝京大学副学長)・業(製薬会社旧ミドリ十字の代表取締役)・官(旧厚生労働省官僚)による「複合的過失」が原因として世の批判を浴びる中、医療倫理、官業癒着、企業の利益第一主義及び官の「不作為(積極的な対応をとらない)」がクローズアップされた。

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